7月のメジャーと言えば全英オープンですが、今年の会場はスコットランドのターンベリー。1977年、自分が初めて参加した全英オープンの会場なので思い出がいっぱい詰まったコースです。
その前年、東海クラシックに勝って賞金王になり、その資格で全英オープンに出たのですが、当時の私に「ブッチギリの青木」というニックネームがあったのをご存じですか。勝つときには2位の選手を5打も6打も差をつけて勝つもんだから、走り出したら手をつけられないという意味なんです。裏を返すと、調子が悪いと簡単に予選落ちをする、勝負に淡白な選手という意味もあったんですよ。しかし、その東海クラシックは、4オーバーのビリで予選通過、決勝ラウンドを5アンダーで回って杉原輝雄選手、内田繁選手とプレーオフ、今までにないパターンで勝ち、自分のゴルフ感が変わりつつある時期だったのです。
そして、翌年の全英オープンのターンベリー。日本では体感することのできない重い海風と硬い芝の中での試合は、負けず嫌いの自分に火をつけたのです。当時の全英オープンは大会3日目にも予選カットがあり、私は18番のスリーパットで予選落ち。翌日のトム・ワトソンの優勝を見届けると、その翌年の開催地、セントアンドリュースへ下見に行ったのです。そしてコースを一目見たとき、「日本の河川敷と似ている。来季は河川敷のコースでたっぷりと練習をしてから、ここにやってこよう」と思い、事実、埼玉県の錦ヶ原ゴルフ場で全英オープンのための練習を積んだのです。
アメリカのコースとイギリスのコース、リンクスとは、「空中戦と地上戦」ほどの違いがあります。アメリカは、マスターズのオーガスタに代表されるように、左ドックレッグのホールには左サイドに大きな木が植えられていることが多く、ボールをグリーンに少しでも近づけたいなら、空中で大きく左へ曲がるドローボールが要求されます。グリーンの手前にはクリークがあるので、高い球筋で止まるボールでないと好スコアは望めません。
リンクスは、この逆。柔らかなシャフトで高いボールを打っていると強風によってひざまである長いラフに運ばれてしまいます。グリーンを攻めるのも、シーサイド特有の硬い地面、ロブショットのできるような芝ではありません。仮にボールが上がったとしてもアゲインストやフォローの風で距離感が合うはずがありません。「リンクスはゴルフではなく、転がすゴロフ」と、自分がその頃から言っている親父ギャグです。
そして翌年の全英オープン、日本の河川敷コースでタップリと練習をして出かけると、初日と2日目はトップに。最終的には7位でしたが、「イギリスでも戦える」と確信した時期でもありました。
全英オープンは今年もテレビの解説を担当しますが、世界のメジャーの中では最も多くの日本人選手が参加するので楽しみです。
1942年千葉県生まれ。64年にプロテスト合格。以来、世界4大ツアー(日米欧豪)で優勝するなど、通算85勝。国内賞金王5回。2004年日本人男性初の世界ゴルフ殿堂入り。07、08年と2年連続エイジシュートを達成。現在も海外シニアツアーに参加。08年紫綬褒章受章。
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