フランスワインの定着 その4:ボルドーワイン《ワイン片手に経営論》第8回

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■ボルドーの興隆

 ボルドーの興隆のカギは、やはりラ・ロシェルという“目の上のたんこぶ”を無力化することでした。そのために、ラ・ロシェルと直接戦うというのではなく、ラ・ロシェルの重要顧客であるイギリス王に取り入る機会をボルドーの商人たちは、虎視眈々とうかがっていました。

 そして、その機会が訪れます。一つ目が、1205年から1206年のイギリスと現在のスペインにいたカスティリヤ王アルフォンソ8世との戦争、もう一つが1224年の同じくイギリスとフランス王ルイ8世との戦争です。

 1205年の戦争では、ボルドーの人たちはカスティリヤ王のアキテーヌ南部ギュイエンヌと徹底的に抗戦し、その侵入を喰い止めました。その結果、イギリス王の感謝を引き出すことに成功します。そして、ボルドーの人たちが、イギリス王のために土地を守った報酬として、イギリス国王はボルドーからワインを調達するようになりました。もともと、質の高いワインですから、一度イギリス国王御用達になるとボルドーワインの販売は一気に拡大しました。1206年以降、イギリス王家の食卓や国王の贈答用ワインの一覧表に頻繁にボルドー商人から買い付けたワインが登場するようになります。1215年にはジョン王はボルドー商人から120トノー(108キロリットル=現在のワインボトル14万4000本相当)ものワインを買い付けた記録があります。

 そして、決定打となるのが1224年のイギリスとフランスの戦争です。戦争が勃発して間もないころボルドー市長とボルドー市は、イギリス王国の大法官であるヒューバート・デ・バーグに書簡を送付しました。

 「閣下、二オールの城とサン・ジャン・ダンジェリーの町は降伏したわけでもないのに、フランス王に降伏したことをお伝えいたします。この書簡を運ぶ者が私たちのもとを去る時点で、フランス王はラ・ロシェルの城壁に迫っていました。わたしどもといえば、イギリス王の敵と戦い、あくまでも忠誠を誓う所存でおります。あらゆる手だてを尽くして、ボルドー市の守りを固めておりますが、そのために何軒もの家を取り壊さねばなりませんでした。このことによってわたくしどもがどれほどの損害を蒙ったか、申し述べることができないほどです。…これらの出費や損失も、すべて公共の利益に不可欠との思いで遂行しております。わたくしどもが忠実なしもべとして命の続くかぎり仕えるわれらが主君であるイギリス王が支配する町、ボルドーを守らなくてはなりません」*1

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