今から70と1年前の1945年2月、クリミア半島のヤルタで、連合国の3首脳が戦後処理を話し合った。同席したルーズベルト、スターリン、チャーチルは、実は同じ末路を辿っている――。ルーズベルトは会談から2カ月、スターリンは8年、そしてチャーチルは20年の後に亡くなったが、3人の死因はいずれも「脳卒中」である。
中でも、享年63歳のルーズベルトが脳出血で倒れた時の血圧は300/190mmHg(同年代の正常値はおおむね141/83mmHg)あったと、後に発表された。
“サイレントキラー”の異名を取る高血圧だが、重症になれば、頭痛やめまいなどの症状も出てくる。長らく狭心症と高血圧に悩まされていたルーズベルトが、ヤルタ会談で結論を急いだことは、戦後の冷戦構造など世界秩序に少なからず影響を与えたとされている。
2200年前、すでに塩分と血流の関係は知られていた
血流や脈についてなら、人類は昔から知っていた。中国最古の医学書とされ、2200年以上前に編まれた『黄帝内経』には、すでに脈と病の重さについての記述があり、鹹味(塩分)を多く摂ると血流が滞ることまで書かれている。
体内の血液が閉鎖系を循環していると証明されたのは、15世紀半ば。16世紀初頭には、馬の頸動脈に管を差す実験で、心臓から送り出された血液が血管壁にかける圧力、“血圧”がはっきりととらえられた。20世紀に入ると、現在もある水銀注を用いた血圧計が完成した。血圧の単位(mmHg)は、Hg(水銀)を何mm上げるかを測定している。
しかし、先の大戦が過ぎるまで、人類は高血圧が致命的だとは考えず、それを鎮める術を持たなかった。ポリオの後遺症に打ち勝って大統領に4度選ばれ、大戦の勝利を目前にしたルーズベルトの最期こそが、アメリカの医学研究を前進させた。
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