また、高血圧の約1割は、甲状腺など何らかの病気によって起こるので、その鑑別・治療も必要になる。9割は「本態性高血圧」と呼ばれ、遺伝、老化、動脈硬化、生活習慣(食塩摂取過多、肥満、ストレス、運動不足など)の複合的な理由で起こってくる。
日本人の8割は食塩感受性があり、食塩を過剰に取ると容易に影響を受ける。高血圧の予防のための目標摂取量は1日あたり6g未満だが、戦前は20gを超えていたとされる。戦後の脳卒中の減少は、降圧薬よりも、冷蔵庫の普及や塩分制限運動の効果と、栄養改善で血管が丈夫になったことによる可能性が高い。とはいえ、なお日本人の1日平均摂取量は10gで、健康食とされる和食、加工食品なども塩分が多いため、6gはハードルが高い。
日本の創薬黎明期、世界で評価された降圧薬があった
生活習慣で血圧が下げるのに限界があれば、いよいよ薬の出番だ。先述した通り、戦後の医学研究から、降圧薬が次々に開発された。
1950年代には、交感神経抑制薬(緊張を鎮める)、血管拡張薬(血管を広げる)、利尿薬(水分を排出する)と、あの手この手で血圧を下げる方法が考えられた。やがて、血圧上昇のメカニズムが解明されてくると、β遮断薬、カルシウム拮抗薬、ACE阻害薬、ARBという、より効果の高い治療薬も出てきた。
“国民病”と闘う日本人も、降圧薬の歴史に寄与している。1950年代末、細胞内カルシウム濃度が筋収縮を制御していることを発見したのは、東京大学の江橋節郎である。これが、今日のカルシウム拮抗薬の開発にもつながったとされる。
戦後、日本で本格的に新薬創製が始められたが、初期には国産で世界に誇れる製品はほとんどなく、海外で開発された製品を日本で臨床試験(治験)して販売する、「導入品」が中心だった。
世界で評価された日本発の薬の先駆けが、1974年に田辺製薬(現・田辺三菱製薬)から発売されたヘルベッサー®(ジルチアゼム塩酸塩)だ。向精神薬を探す中から偶然発見されたヘルベッサー®は、まず、狭心症薬として承認され、当時、まだ新しかったカルシウム拮抗作用を前面に出し、1982年から高血圧にも適応を広げた。世界で発売され、その後の田辺製薬の業績を大きく牽引、日本の新薬開発力を世界に印象付ける薬となった。
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