上野千鶴子さん、なぜ「女」は辛いのですか? 20~30代が知らない、日本の「女の歴史」
もともと、均等法は完璧なものではなく、妥協の産物だったから「みにくいアヒルの子」として産まれた。それはその後、白鳥になれたのか? という比喩を使ってテーマ設定をしたわけです。
結論から言えば、白鳥にはなれず、「ネオリベのカモ」になってしまったと。ネオリベことネオリベラリズムのもとで、女性を分断する結果になってしまいました。
「努力すれば報われる」の罠
この家庭責任を免れた男性労働者たち、一歩家を出れば「単身者」のふりをできる男たちと「対等の」競争に参入するのは、女性にとって最初から負けがこんだ勝負です。家庭を持つことをあきらめるか、他の誰か(実家の母や姑)に家庭責任をおしつけるか、さもなければがんばってカラダをこわすのがオチでしょう。つまり「男並みの競争」とは、もともと男に有利にできたルールのもとでの競争を意味します。そのなかにすすんで入っていく女が、悲壮に見えたり、あほらしく見えたりするのも、当然でしょう。こんな「機会均等」、だれが望んだ?……と女性が言いたいきもちは無理もありません。
――それは、女性労働者は「新自由主義(市場原理主義)のカモにされた」という意味でしょうか?
そういうことです。均等法以降、高学歴の女性たちは、男性と同じように働けるようになったと、思っている方もいるでしょう。その前提にあるのは、「頑張れば、努力すれば報われる」とか「能力があれば報われる」という優勝劣敗、自己決定・自己責任の原則を押しつける、新自由主義と呼ばれる「機会均等」の競争原理です。
新自由主義は学校空間から企業社会に至るまで、深く浸透しています。高学歴の女性たちは、頑張って勉強したらいい学校に進むことができた。学校にいるあいだは努力が報われてきたから、この社会に依然として残る差別構造に気づかない。今やエリート女性は、そうでない女性と連帯することが難しくなりました。
20代30代女性は、優秀な人ほど、ネオリベのカモにされやすい。それまでは「努力が報われてきた」と思えるこの世代が、性差別の構造に気づくのは、妊娠・出産であることが多い。ケア責任を持つと、男並みの長時間労働ができなくなりますから。ここで初めて、気づくのです。今の働き方が男に有利にできたルールだと。
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