なぜ若者はホリエモンに"勘違い"を抱くのか 「老害を駆逐してくれる救世主」ではない
堀江貴文さんが作った「755」というトークアプリで堀江貴文さんとトークした。今日は、その対談(岩崎夏海vsホリエモン座談会)で思ったことについて書いてみたい。
この対談で思ったことは、「やっぱり多くの日本人(特に若者)が、問題の本質を認識していないのではないか?」という疑いだった。この疑いは、かねてから抱いていたが、それが強化された形だ。
堀江さんには若者のファンが多いが、ぼくははっきりいって彼らのほとんどが堀江さんを誤解していると思う。どう誤解しているかというと、「堀江さんが新しい道を切り開いて実力主義の社会を作ることで、今、老害世代に虐げられている自分たちにもチャンスが巡ってくるのではないか」というふうにだ。
競争力のない者にチャンスは巡って来ない
はっきり言って、そういう事態は起こらない。堀江さんが志向し、切り開こうとしているのは、バングラデシュやパキスタン、インドネシアやベトナムなどの第3世界から、能力があってガッツもある若いエンジニアやアントレプレナーがたくさん現れ、世界の経済地図を書き換えるような世の中である。そういう地域格差が是正され、世界中のあらゆる場所から有為な才能が花開く未来だ。
そして、そういう第3世界にチャンスの芽が増えれば、相対的にこれまで既得権益を受けていた日本のチャンスの芽は減っていくのである。
堀江さんには、世界中の人々と張り合っても負けないくらいの能力とガッツがあるから、むしろそういう未来にわくわくし、楽しみに思ってそれを志向している。彼は革新派だ。自分に不利になることでも、風通しがよくフェアな世界を望んでいる。なるべく純粋な競争社会を志向している。
それは、ひとつには堀江さんに競争力があるからでもある。競争が好きというのもあるだろう。だから、競争社会はどんとこいなのだが、しかし日本の多くの若者は、競争力もないし競争が好きではない。
これは、堀江さんにいわせれば「誰でも普通に努力すれば競争力など簡単に身につく」ということになり、ぼくもそう思うのだが、しかし日本の多くの若者は、その普通のことができない。なにしろ競争が嫌いなのだから、競争力を身につけようとすることさえ大きな抵抗を感じてしまうのだ。
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