黒田長政と後藤又兵衛の嫉妬と敵がい心の効用

ライバルの存在が能力を伸ばす原動力になる

黒田長政をはじめ、多くの戦国武将がドラマを繰り広げた大阪城(写真:Webサイト 日本の城写真集)
「ライバルを持ち、その存在を意識することで、眠っている自身のポテンシャルを引き出すことができる」「ライバルがいたからこそ、今の自分がある」ということがある。それは現代人のみならず、戦国時代を生きた武将たちも同じだったようだ。
NHKの『その時歴史が動いた』をはじめ多くの番組、著書で歴史をひもといてきた松平定知さんの最新著書『一城一話55の物語 戦国の名将、敗将、女たちに学ぶ』から、2人の武将の生きざまを考察してみた。

危機一髪で命を助けられた幼少の長政

黒田長政といえば、戦国時代きっての軍師、黒田官兵衛の嫡男であり、福岡藩を開き、博多の街の基礎を作った人物です。徳川家康は関ケ原の戦いの論功行賞において、長政の功績を1番とし、筑前・福岡に52万3000石を与えました。それまでは父の存在に隠れがちだった長政の飛躍の背景には何があったのでしょうか?

黒田長政は黒田官兵衛の嫡男で、幼名は松寿丸といいました。官兵衛が織田信長に仕え、羽柴秀吉の軍師になると、天正5(1577)年から信長への人質として秀吉に預けられ、秀吉の居城だった長浜城で過ごしました。黒田官兵衛の主君だった小寺政職(こでら・まさもと)の子が病弱だったため、身代わりになったと考えられています。

長浜城では年上の市松(福島正則)や虎之助(加藤清正)らと交わり、元気に育ちました。ところが信長の家臣だった伊丹城主の荒木村重が謀反を起こし、敵対する毛利方に寝返ったことで、10歳だった松寿丸の身は暗転します。

秀吉は、村重と旧知の仲だった黒田官兵衛を派遣し、翻意を促しますが、村重は逆に官兵衛を幽閉してしまいます。戻らない官兵衛を裏切ったものと考えた信長は、秀吉に人質である松寿丸を殺すよう命じますが、官兵衛とともに秀吉の軍師を務めた竹中半兵衛が、信長に別人の首を差し出す機転を見せ、松寿丸の命を救ったのでした。

長政は、本能寺の変で信長が自刃すると、父・官兵衛とともに秀吉軍に従軍。備中高松城攻めや賤ヶ岳の戦い、九州征伐、朝鮮出兵といった戦いで武功を上げ、福島正則や加藤清正と同様、武闘派に属し、官僚タイプの石田三成と敵対します。

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