現在、多くのケニア人ランナーが日本で競技を続けている。本気で世界を目指すことを考えると、彼らの存在は非常に大きい。なぜなら日本にいながら、世界トップレベルの選手と競うことができるからだ。Jリーグに、サッカー大国のブラジルやアルゼンチンの現役代表選手がやってくることに似ている。しかし、陸上界は、せっかくきた外国人選手と真っ向勝負する場所を自分たちの手で摘み取っている。
箱根駅伝は第82回大会(2006年)から「留学生のエントリーは2名以内、出走1名以内」とする規定ができて、外国人選手の起用が制限された。全日本実業団駅伝は男女とも外国人選手が出場できる区間が決められている。男子は2009年から最短8.3kmの2区が「インターナショナル区間」となり、唯一外国人選手の登録が可能だ。例年、約半数のチームが外国人選手を起用して、区間上位を占めている。
高校駅伝も1995年から外国人留学生選手のエントリーは2人まで、出場は1人のみとなった。1993年から2007年大会までは男子の最長区間1区で、ケニア人留学生が区間賞を奪い続けた。そのパワーがあまりにも巨大だったため、2008年から男女とも外国人選手の起用について「1区を除く区間」という規定に変更。そのため男子の場合は、2番目に距離が長い3区(8.1075㎞)に留学生を出場させるのがオーソドックスなかたちになっている。
「強すぎる」という批判は何も生まない
高校駅伝男子で「日本最高記録」を樹立した佐久長聖高校は当時、両角速(現・東海大学駅伝監督)が監督を務めていた。佐久長聖の選手たちは、両角の教えもあり、ケニア人留学生を相手にしても攻めのレースを見せてきた。日本長距離界のエースともいえる佐藤悠基(日清食品グループ)は、夏のインターハイ5000mでケニア人留学生の背中に食らいつき、インターハイ日本人最高タイムの13分45秒23をマークしている。佐藤や大迫傑(NikeORPJT)がいまも“世界”を目指して本気で取り組んでいるのは、両角の指導が大きい。
「いつも私が言っていたのは、自分が逆の立場になって考えてみろ、ということです。ケニア人留学生は親元だけではなく、国を離れて、異国の地で競技をやっている。自分たちに同じことができるのか。
彼らは日本で競技会荒らしをしているわけではなくて、人生をかけて、命をかけてやっている。そういう気持ちが、日本の高校生とは違います。競技に対する気持ちが君たちよりはるかに上回っているんじゃないかと。
同じように日本を離れて、何も分からないところで頑張るくらいの覚悟を持って、競技に取り組むことができればケニア人留学生が相手でも負けないんじゃないか、というようなことはよく話しましたね」(両角)
今年度5000mと1万mで従来の日本記録を上回った鎧坂哲哉(旭化成)も、世羅高校時代にケニア人留学生とチームメイトだったことが、その後の競技人生に影響しているという。特に2学年下だったビタン・カロキ(DeNA)の存在が大きかった。カロキは高校卒業後、日本の実業団に進み、ケニア代表として世界大会に出場。ロンドン五輪1万mでは5位入賞を飾っている。ケニア人選手を身近に感じてきた鎧坂は、カロキに少しでも近づこうと競技に取り組み、今夏の北京世界選手権1万mでは同じ舞台に立った(カロキは4位、鎧坂は18位)。
駅伝における留学生の存在は、日本人にとってネガティブなイメージで映ることも多い。しかし、彼らの来日を望んだのは、同じ日本人であることを忘れてはいけない。そして、留学生がいるおかげで、強くなった日本人ランナーがいることも。
“世界”というワイドな視点で見れば、自らを鍛えてくれる貴重なライバルだ。ケニア人選手に対して、「強すぎる」という批判をするのではなく、日本人ランナーに「もっと強くなれ!」という声援を送ってほしいと思う。
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