人々が国の特徴をプレースタイルに投影したがるのは意外なことではない。イングランドが勝つと、勝利は闘争心とフェアプレーに帰される。ドイツは規律でプレーし、イタリアはローマ戦士の守りの強さで、オランダは自由奔放な個人主義で、スペインは闘牛士のエレガンスさで、といった具合だ。フランスは98年のW杯で優勝したとき、自由・平等・博愛に対する同国のコミットメントを具現化した、チームの多民族性のおかげであるとした。
だが試合に敗れると、こうした美徳は、各国特有の欠陥として非難される。たとえば、ドイツの想像力欠如、イタリアの攻撃に対するおそれ、オランダの利己主義、フランスの少数民族の国家意識欠如などだ。
プロサッカー選手は「傭兵」なのか
サッカースタイルの現実はむしろより複雑だ。今日の素晴らしいスペインの試合の起源は闘牛場ではなく、70~80年代にヨハン・クライフが築いたFCバルセロナにある。ボールのポゼッションを維持し、素早く短いパスを使い、守備から攻撃に電光石火で切り替える「トータルフットボール」哲学の起源は、60年代後半当時のアムステルダムのチーム、アヤックスにある。
そのスタイルはスペインに採用され、その後改善され、洗練された。今はイングランドを除くすべてのチームが、「トータルフットボール」をやろうとしている。スペインと他国との違いは、このサッカースタイルにおいてスペイン人のほうが一枚上手であるということだ。
68年のパリの学生蜂起の指導者で、現在、欧州議会の緑の党議員であるフランス生まれのドイツ人、ダニエル・コーン=ベンディットは、現代のスター選手たちは国のためにプレーしているわけではないと最近の記事で論じた。彼らは筋金入りのプロとして、主に自分たち自身のためにプレーしている。コーン=ベンディットの言葉を借りれば、彼らは「傭兵」なのだ。
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