今なぜ台湾で「懐日映画」が大ヒットするのか 戦後70年、無視されてきた「人間の歴史」

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李登輝との対談で知られる司馬遼太郎著「台湾紀行」では、司馬遼太郎が、台湾である老婦人から「日本は台湾を二度捨てた」と詰め寄られ、答えに窮したところが描かれている。私自身、台湾で暮らしている間に、何度か高齢の方々にそう言われ、心のなかに罪悪感が残った記憶がある。

二度捨てた、というのは、1945年と、1972年のことだ。前者は日本の敗戦による台湾の放棄、後者は日華断交である。前者も後者も、日本にとっては、かなりの部分、自力ではどうしようもないものだった。

前者については降伏の条件として台湾放棄を約束させられた。後者もまた、日本の国益のため、世界の潮流に乗り遅れないよう、やむを得ない判断だったと、いまからすれば言うこともできるだろう。しかし、台湾にとってみれば「捨てる」という言葉で言いたくなる気持ちも理解できる。

歴史のなかで忘却された、湾生たちの「人間の歴史」

終戦当時、台湾にいた日本人のなかにもいろいろな考え方があっただろうが、「台湾を離れたくない」という気持ちでありながら、国家が定めた運命によって無理矢理台湾から引き離された人々がいたことは、この作品を見れば十分に伝わってくる。

こうした人間レベルの関係は、戦後の日台関係のなかで政治的に隠されてきた部分がある。台湾では国民党の「中国化教育」によって日本への思いは「皇民意識」として克服すべき対象となった。日本でも、台湾統治という植民地領有行為そのものが批判の対象となった。

その結果、国家の領有や放棄というレベルとは本来別次元であるべき湾生たちの「人間の歴史」までが忘却され、軽視されてきたのである。

しかし、台湾では近年、「中国は中国、台湾は台湾」という認識が完全に定着し、その分、台湾へ向ける人々の郷土愛が盛んに強調されるようになっている。「愛台湾(台湾を愛する)」というスローガンは、もはや独立志向が強い民進党支持者だけでなく、国民党の候補者も語らなければ選挙に勝てない状態だ。その意味では、この湾生回家のヒットは「日本人も愛した台湾」という点が、より台湾の人々の涙腺を刺激するのだろう。

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