伝説の床山は、なぜ名力士たちに慕われたか 朝青龍の"日本の父"、床山の在り方を変えた

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ただこのとき、北の湖理事長は「床山も技術の向上を図るようなことをしたらどうか」と注文を付けていた。これを受けて床寿さんたちは床山の講習会を行うようにした。

それまでも支度部屋で床寿さんが力士の髷を結っていると、若い床山が見に集まってくることがあった。そういうとき床寿さんは、若い床山にアドバイスをしたりもした。しかし、それぞれ所属する部屋が違うため、床山が集まって勉強するような機会はほとんどなかった。

「番付に載って恥ずかしくない技術を床山が身につけるようにするためには、自分たちベテランが若い連中に技術を伝授しなければいけない」。床寿さんたちはそう考えたのである。床寿さん自身は、引退後もしばらくこの講習会に講師として呼ばれ、技術指導を続けた。

こうした相撲界への長年の貢献が評価され、床寿さんは2008年、日本プロスポーツ協会からスポーツ功労者として表彰された。床山としては初の栄誉である。

「つらいと思うことは、あまりなかった」

床寿さんの仕事道具。大事に使われていたのがわかる(撮影:梅谷秀司)

定年退職してから7年、床寿さんは今、再び本名の日向端さんに戻り、悠々自適の生活を送っている。江戸川区にある自宅には、千代の富士や朝青龍など、自らが大銀杏を結った歴代名力士たちの写真が飾られている。

「前は相撲中継を見ていて形のよくない大銀杏があると、その力士の部屋に電話して床山をしかりつけたこともあったよ」。衰えることのないプロ意識を感じさせるエピソードが飛び出す一方、ぽつりと、こんな話もしてくれた。

「若いころは2度、里心がついて上野駅まで行ったことがあったよ。1回は18歳の頃のお盆の季節。両国駅に海水浴に行く若い連中がいっぱいいるのを見て、うらやましくなってね、『チチ、キトク』っていう電報を、自分で部屋宛てに打ったんだ。だけど親方にあっさりバレてね。『あんちゃん、これ、嘘だろう』って言われたときは、さすがに涙が出たね。

だけど好きで入った世界だったからね、つらいと思うようなことはあまりなかったね。大好きな相撲の世界で50年勤めあげ、有名な相撲取りの大銀杏をたくさん結ったんだから、ほんと、床山になってよかったと思うよ」

今、大相撲はかつてなかったほど取り組みが充実している。そうしたなかでも、床山や呼び出しなどの裏方が脚光を浴びることはあまりない。だが、今の土俵の充実は、そうした裏方たちの働きがあってこそのもの。伝説の床山・床寿こと日向端隆寿さんの話を聞いて、改めて強くそう感じたのである。

前編:伝説の床山、後世に残る「神業」ができるまで

崎谷 武彦 フリーライター

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さきたに たけひこ / Takehiko Sakitani

東京都出身。出版社、編集制作会社を経て、1984年からフリーランスライターとして活動。経済誌、PR誌、パンフレット、会社案内、社史などの原稿・コピーをライティング

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