「壊すしかない」と言われ続けた"岩に抱きつく廃墟"、大逆転の再生物語。廃墟好きが「栃木のマヤカン」と呼んだ施設は今

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「昭和41年に最初の建物が、翌年にもう1棟が建設され、その1階には大浴場、2階には宴会場がありました。団体客がバスでやってきて入浴、その後、座敷で宴会をしてバスで帰る。そんな使われ方をしていたと聞きました」とグランド・センターの全体プロデュースを担当したbonvoyage株式会社の和泉直人さん。

エントランス周辺
エントランス周辺。このあたりは現在も雰囲気が残る(写真:大谷グランド・センター)
放置されていた当時の内観
勝手に入り込む人たちがいたようで、ところどころにいたずら書きが(写真:大谷グランド・センター)

昭和50年代がもっとも華やかだったそうだが、その繁栄は長くは続かず、昭和末期には閉館。建物はそのまま放置された。

「壊すしかない」と言われ続けていた

その後、10年ほど前に建物とともにこの一帯の4haほどの土地を地元の株式会社井上総合印刷が購入した。

大谷石自体はいまだに採掘し続けられており、建材、内装材、インテリアなどとして使われてはいるが、最盛期に比べると生産量は大幅に減少。産業としては衰退してきた。地元でその状況を見てきた同郷企業としては地域のためにこの建物、エリアをなんとか再興できないかと思いがあったのだろう。

また、大谷石ほど急激ではないものの、印刷業もデジタル化が進む中、将来は縮小に向かうと思われる産業でもある。であれば、他の事業を考えたいという思いもあったはずだ。

だが、なんともできないまま、月日は流れた。

「本業とは異なる分野でもあり、いろいろな人に相談したものの、ほぼすべての人に建物を壊すしかないと言われ続けたと聞いています。最終的に途方に暮れた様子で私に相談があったのは間に5人か、6人ほどを介してのこと。建物だけではなく、エリアの全体像を提案してほしいと言われて案を提出したのが22年のことでした」(和泉さん)

泉さん
建物を作る、リノベーションするだけでなく、その後の運営にも関わり、幅広いジャンルで活躍する和泉さん(写真:和泉さん提供)

和泉さんは学生時代にNYで空間デザインとアパレルを学び、帰国後は不動産、設計、リノベーションなどの仕事をした後に20年に独立。

現在は不動産、設計、まちづくりに総合的に関わるプロデューサーをしている人で、最初にお目にかかった時には閉業した銭湯を暫定的にアーティストのアトリエとして活用するプロジェクトを担当していた。

浴槽、洗い場、脱衣所などをそれぞれ個室に見立ててアトリエ化するというもので「そうか、その手があるか」と驚いたことを覚えている。

人が思いつかないことを形にできる人であると同時に、従前の相場を軽々と越えていく力のある不動産を作れる人でもある。

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