福岡「冷泉荘」廃墟寸前の築67年賃貸が満室の理由 国の登録有形文化財にも
「文化財登録に際して大学の先生と改めて調査する中でわかったことなのですが、この建物を設計したのは、戦時中に飛行機のエンジニアをされていた方のようです。写真が趣味で、海外にもジュラルミンケースを抱えて訪れていたとか。この『異形の建物』は、そんな彼独自の個性とセンスから生まれたんでしょうね。何より、エンジニアの夢とロマンを感じます」(吉原さん)
住宅が足りない時代に大量生産しないといけないという事情でつくられてきた公共物件に対し、まったく違う思想で建てられた民間物件である「冷泉荘」。当時のエンジニアの技術力の高さと、時代の先端を走っていたデザインを見事に体現している。「そこにはやっぱり文化的、歴史的価値があるんじゃないかという評価があって、今回の文化財登録になりました」(吉原さん)
ちなみに、建造から7年後の1965年に、吉原さんの父が営んでいた不動産会社「吉原住宅有限会社」が「冷泉荘」を取得し、運営を開始していた。
廃墟化から救え!「アーティストによる発信の場」へ
完成当時、「冷泉荘」は木造家屋が建ち並ぶ一角に突如姿を現した近代的なコンクリート建築として、地域の人々の憧れの的だったという。しかし時代が進むにつれて住まいのあり方も変化し、建物は次第に時代遅れとなった。老朽化が進むと空室が増え、荒れた部屋も目立ち始め、やがてスラム化へと傾いていった。
吉原さんが父の代から引き継ぎ、この「冷泉荘」に携わり始めた2000年、本当に目も当てられない状態だったそう。建て替えも視野に入れていたが、当時、同じく吉原さんが所有するビンテージビル「山王マンション」のリノベーションを先に手掛けたことが経験値(2003年~)となり、「冷泉荘」再生への歩みを始めることになる。
「当時はまだ『リノベーション』という言葉も知られていない時代。この『冷泉荘』は1棟まるごとリノベーションしないと、とても保全できないという状態でした」(吉原さん)
そこで2005年、吉原さんは「冷泉荘」再生プロジェクトを立ち上げる。一度全室を空けた上で、アーティストを対象に3年間限定で、月額3万5000円という格安家賃で貸し出すという大胆な取り組み。その代わりに、「自由に改装してよい」条件だった。

















