福岡「冷泉荘」廃墟寸前の築67年賃貸が満室の理由 国の登録有形文化財にも
そんな川端通商店街から程近い場所の路地にひっそりと佇むように「冷泉荘」は立っている。1958年築の5階建て鉄筋コンクリート造ビルで、建てられた当初は集合住宅だったが、現在は店舗やギャラリーが入るテナントビルとして運営されている。
外観を見るだけでも、どこか懐かしい昭和のアパートの風情を残す「冷泉荘」。今は人と文化が行き交う場となっているが、約20年前までは、「まるでスラム街のような廃墟だった」と教えてくれたのは、同ビルオーナーで「吉原住宅有限会社/スペースRデザイン」代表の吉原勝己(よしはら かつみ)さんと、同ビル管理人の杉山紘一郎(すぎやま こういちろう)さん。
「本当に解体寸前の状態だったのですが、それが2024年には国の登録有形文化財に登録されるまでに至りました。このビルは、確かにそれだけの価値があるんです」(吉原さん)。冷泉荘は「戦後初期のRC造民間集合住宅」として全国で初めて文化財登録されたそうだが、そもそもどのような成り立ちでできたビルなのだろうか。
エンジニアの夢とロマンを感じる「異形の建物」
「冷泉荘」が完成したのは1958年。当時の川端は、商人や職人の家が軒を連ねる、木造の店舗兼住宅が主流の地域だった。戦後復興期のさなか、全国的には人口増加に伴う住宅難を解決するため、鉄筋コンクリート造のアパートが各地で建設され始めていたが、その多くは公共事業によるものだった。
一方で「冷泉荘」は民間物件として建てられた。ここに大きな価値があると語る吉原さん。
「当時、この規模の鉄筋コンクリートアパートを民間で建てるのは難しかったようです。1957年、住宅金融公庫の中高層耐火建築物等建設資金融資制度が創設されました。『冷泉荘』が実現したのは、この創設されたばかりの融資制度を利用して建設されたことからも、ビル建設への民間投資がようやく動き始めた時期だったようです」(吉原さん)
この「民間」ならではの価値は、建物のつくりにも現れている。
全国で建てられた公共の鉄筋アパートは、左右対称で間取りも均一という画一的な構造が一般的だった。一方「冷泉荘」は、正面から見て左がA棟、右がB棟で、A棟のほうが1フロア当たりの部屋数が多いという左右非対称のつくりをしている。こうした設計は、当時としてはきわめて珍しいという。

















