「全財産5000円」のどん底から《世界一の鍛冶屋》に…「このままじゃ人間ダメになる」と安定公務員を捨てた元レスキュー隊員の逆転劇

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やがて怪我で入院したことを機に、周囲の猛反対を押し切って退職。公務員の安定を捨て、鍛冶屋一本の人生が始まった。

多種多様なハンマーが並ぶ加成さんの工房
加成さんの工房には、多種多様なハンマーが並ぶ(写真:筆者撮影)

全財産5000円の下積み時代

消防署を辞めた後、西田さんの元で修業を積み、30歳で独立。25歳で庶子さんと結婚し、2人の子どもがいた。しかし、次の入金まで口座の残高が5000円になったこともあった。

インターネットもない時代、作品を知ってもらう場は今ほど多くない。フリーマーケットや骨董市に作品を持っていき、売り歩いた。

ある日、小学生が「おじさん、何も売れてないから俺が買ってやるよ」と500円のスプーンを買ってくれたことがあった。またある日は、お釣りの現金がなく、「くずしてきてほしい」とお客さんに伝えたことも。

それでも諦めなかった。電話帳を開いて、1件1件電話して営業もした。断られることの方が圧倒的に多い。遠くまで見積もりに行って、2時間も3時間も待ったものの、仕事にならないこともあった。

「消防士を辞めなければ……」と何度もよぎる。だが不思議と、そのたびに小さな仕事が舞い込んだ。例えば、骨董市で雑貨を手にした人から、家の手すりを頼まれるなどだ。結局、途切れずここまで続けてきた。

妻の庶子さんもさまざまな事務面でサポートしながら、二人三脚で工房を運営。少しずつ信用と実績を積み上げていった。

世の中には「うまい人」がいっぱいいることも学んだ。失敗を重ねながら、加成さんは這い上がっていった。経験を積むことで、見る目が養われていく。

加成さんの作品の特徴は、1本の鋼材から削らず、溶接もせず、ハンマーと鏨(たがね)だけで打ち出すこと。素材の動き、熱の伝わり方、ハンマーワーク――すべてを読み切らなければ、立体感のある表情は生まれない。

「鍛冶仕事は”形を作る”んじゃなくて、“鋼を生かす”こと。同じ材料を渡されても、同じものは二度と作れない。それが手仕事の強さだと思ってる」

40代後半で仕事が安定して舞い込むようになった。ずっとそばで見ていた庶子さんは、コツコツと鍛鉄と向き合ってきた加成さんの、ある“変化”に気づいたという。

「打ち合わせのときに、初めて『俺に任せてください』って言ってたんです。45歳ぐらいの頃かな。ここから、受ける仕事の質も変わっていったと思います」(庶子さん)

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