「全財産5000円」のどん底から《世界一の鍛冶屋》に…「このままじゃ人間ダメになる」と安定公務員を捨てた元レスキュー隊員の逆転劇

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「火事や救助の現場での活動はもちろんやりがいがあったし、合っていたと思う。でも、救助大会や消防署対抗駅伝など、挑戦する人が少なかったんだよね」

加成さんは根っからの“挑戦好き”だったのだろう。大会のため、勤務が明けてから訓練に励むこともあった。しかし、「挑戦心」のある同僚は多くなく、違和感が募っていく。

「このままここにいたら、人間としてダメになる。そう思った」

「もっと挑戦したい」気持ちが、加成さんを次のステージへと向かわせた。

加成さん
(写真:筆者撮影)

運命を変えたカタツムリ

転機は22歳のとき。後に妻となる庶子(ちかこ)さんがアルバイトをしていたレストランで、鉄のカタツムリのオブジェを見たのがきっかけだった。

それを作ったのが、鍛鉄工芸家・西田光男さんだった。高級住宅やレストランの装飾を手がけ、テレビや雑誌の取材も頻繁に受けている、業界では知られた存在。

その西田さんが「秩父に建てる工房で手伝いを募集している」と聞き、興味を持って工房を訪ねた。センスの良い空間に、美しい鍛鉄作品が並ぶ。加成さんは大きな衝撃を受けた。

西田さんの車で工房へ向かう途中、ポルシェが停まっている家があった。

「思わず、『西田さん、ああいうの欲しいです』って言ったら、『簡単にすぐ買えるよ』って言われて。実際、西田さんの家にはボルボがあった。そんなこと言う大人なんて初めて見たんだよね」

もちろん、暮らしぶりだけではない。鍛鉄の仕事そのものに強く惹かれた加成さんは、翌日から秩父の工房へ手伝いに通い始めた。消防署は、24時間勤務の後、翌日が休みになる「明け」のシフトだ。その日をすべて工房通いに充てた。

美術教育は受けていないが、センスと体力はあった。

一方で、加成さんは子どもの頃、思うままにいたずらをしては「バカだ」と言われてきたという。小学生から中学生まで新聞配達をし、部活も人一倍練習をしていた。それでも、親や周囲の大人たちは誰も認めてくれなかった。

ある日、西田さんが言った。

「加成はバカじゃないよ」

それまで誰からも言われなかった一言だった。

この仕事をとことん追求しよう――そう心に決めた。

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