「産後ケア」を日本に広めた彼女が経験した"痛み"――「出産は全治1カ月のケガと同様」産後の当たり前を変えた吉岡マコさんの生き方

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私は出産を機に日本へ戻り、落ち着いたら改めて3人でギリシャで暮らすつもりでした。ただ、産後は心身の回復に必死。パートナーとしばらく離れて暮らしているうちに、子育てしながら海外で暮らすイメージが持てなくなって。

「産後」という一番大事な時期に一緒にいられなかったことで、一緒に子育てしていくための土台を作れなかったともいえると思います。シングルマザーとして息子を育てていこうと、大学院も中退することにしました。

――生活を成り立たせるのは、たいへんではなかったですか?

なかなか仕事が見つからなくて。マザーズハローワークでは時給850円の仕事を紹介されたのですが、それだけでは、生活費を稼げない。

大学時代は放課後や週末に時給5000円の塾講師のバイトをしていたのですが、夜間や週末に子どもを預ける場所はなかなかない。子育てしながら働くことの難しさを痛感して、「自分で仕事を作るしかない」と思いました。

――厳しい現実ですね。

今しかない時間をもっと子どもと過ごしたいし、自分が切実に必要だと感じた産後ケアのプログラムを作ったら、参加したい人はいるんじゃないか。そう思って、まずは産後ケア教室を立ち上げたんです。もちろん、それだけでは生活費が足りないから、フィットネスクラブでバイトすることにしました。

それでも、週5回バイトして月8万円くらい。産後ケア教室で数万円の収入をプラスしても経済的に余裕はなかった。常にギリギリで、目の前の生活に精一杯でした。

――それでも産後ケア教室は続けたんですね。

フィットネスクラブでのバイトは、現場でさまざまなことを学ぶことができて、自分のためにもなっていて良かったのですが、産後ケア教室を開催したほうが圧倒的にコスパはいいし、人に喜ばれる。だから、少しずつ教室の回数を増やし、バイトの日数を減らせばいいんだという楽観的な希望を持っていました。目的も明確だったし、時間もエネルギーも必要なことに使えたことは大きかったです。

産後の母親の体と孤独を救う

――1998年にマドレボニータの原点である「産後ケア教室」を始めています。

個人としての痛みを「なかったこと」にせず、意味づけしたんですね。私に必要だったことは、誰かにとっても役立つはずだと。「同じ立場の人が、少しでも楽になる方法はないか」と考えていました。

――産後ケアメソッドについて教えてください。

基本は、バランスボールのエクササイズで、筋力と持久力を鍛えながら気持ちよく汗をかいてから、対話のワークを行います。親になると、みなさん、子どものことばかり考えがちなので、“自分”を主語にして感じていることや、考えていることを話してもらうんです。

産褥期には、出産によってダメージを受けた体をしっかりと休ませる「受けるケア」、産後回復期には、落ちた体力や筋力を取り戻すための「取り組むケア」が必要。でも、体のケアだけですべては解決しない。心のケアも同じように大切です。

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