兄の信長に反旗を翻した信勝の運命 「豊臣兄弟」が仕えた織田信長が「弟殺し」で使った作戦とは

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清洲城(写真:yako / PIXTA)
清洲城(写真:yako / PIXTA)
天下人となる兄を支えた弟の豊臣秀長にスポットライトをあてた、NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」。豊臣秀長は、豊臣政権内ではトップリーダーである秀吉と家臣たちとのよき橋渡しとなりながら、対外的には兄の代わりに有力な戦国大名たちと渡り合うこともあった。その働きぶりから「理想のナンバー2」とも評されるが、一体どんな人物だったのか。連載「秀吉を天下人にした男、豊臣秀長の実像」の第7回では、織田信長に反旗を翻した弟の信勝について『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』の著者・真山知幸氏が解説する。
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家督を継いでから気が休まる日はなかった

織田信長は永禄3(1560)年の「桶狭間の戦い」で大軍の今川義元を撃破したことで、一躍、その名を全国にはせた。

日の出の勢いを得た信長が率いる織田家は、現代の会社組織で例えれば「時勢を味方につけて急成長したベンチャー企業」そのもの。一方、没落の一途をたどった今川家は「ベンチャーに倒産に追い込まれた名門企業」だ……。

そんな記事(「桶狭間の戦い敗北で転げ落ちるように没落」 大河ドラマ「豊臣兄弟!」 約230年駿河に君臨した今川家、将軍に次ぐ権勢の凄さ)を書いたところ、読者にビジネスパーソンが多い東洋経済オンラインだけあって、大きな反響があった。

だが、信長本人が記事を読んだならば「そんなに簡単なもんじゃない」と苦笑されてしまうかもしれない。「桶狭間の戦い」後から天下人への階段を急速に駆け上がった信長だったが、それまでの戦い、つまり、尾張統一までにも数々の苦難があった。

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