一方、PBは利払いを除いた歳入と歳出の差であり、「借金に依存しない財政運営ができているか」を測る規律指標だ。したがって、PB目標そのものを事実上撤回し、「数年単位で確認する」と曖昧化することは、財政運営の責任を不明確にする。
そして現実には、財政再建を先送りするための装置として機能することになる。だから、これは財政健全化のための手段ではなく、説明責任を弱める効果を持つ。
「成長すれば問題はクリアできる」という妄想
高市政権の財政思想の根底には「成長率が高まれば、債務問題は自然に解消される」という楽観的な前提がある。しかし、この前提は日本経済の現状では非現実的だ。日本の潜在成長率がすでに1%を下回る水準にまで低下しているからである。
人口減少と高齢化、労働投入量の減少、そして生産性上昇の停滞といった構造要因が、成長の上限を厳しく制約している。こうした状況下では、財政支出を拡大しても、持続的な成長が自動的に実現する保証はない。
むしろ近年の日本経済が示しているのは、財政出動は物価を押し上げる一方で実質賃金や実質消費を改善できないという現実だ。供給制約が強い経済では、需要刺激策は成長ではなくインフレとして現れる。その結果、名目GDPは増えても国民の生活水準は改善しない。
このように、成長を期待して財政規律を緩めるという発想は、成長の条件そのものが失われつつある日本においては極めて危険なものなのだ。
積極財政を正当化する議論では、しばしば「日本国債は自国通貨建て国債であり、デフォルト(債務不履行)の心配はない」といった主張がなされる。しかし、問題はデフォルトではなく、金利上昇である。
インフレ率が上昇し、財政拡張が常態化すれば、長期金利には上昇圧力がかかる。これは市場の自然な反応であり、金融政策だけで完全に抑え込むことはできない。実際、日本でも最近タームプレミアム(より長い年限に対する追加的な要求利回り)の上昇が観測されており、国債市場はすでに財政運営に対して警戒シグナルを発している。
金利が上昇すれば国債費は増大し、財政の柔軟性は急速に失われる。利払い費の増加は将来世代への負担転嫁であり、「責任ある積極財政」という言葉とは正反対の結果をもたらす。


















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