「コーヒーハウス禁止令」が出たオスマン帝国でなぜか急増…人々がこっそり駆け込んだ"意外な場所"
ナルギレをたしなんでいた男性に話を聞くと、月に1度、トルコの首都アンカラからイスタンブールに仕事のために来たときに必ず立ち寄るとのこと。
「歴史ある建物で、トルココーヒーを飲み、ナルギレを吸いながらホッとひと息つきたいんだ」と言っていました。
ちなみに、縦長の壺のような形をしたナルギレの器具のてっぺんには、果物やミントなどのシロップと混ぜ合わせたタバコの葉が入っています。
これが煙の元で、この上に炭をのせて葉を熱して煙を出します。煙は下方に移動し、フィルターの役割を果たす水を通して煙を吸うシステムです。中庭に座席をしつらえた店内は風通しがよく、ほんのりと甘い香りが漂っていました。
オスマン帝国のコーヒーハウスは床屋を兼ねる
オスマン帝国のコーヒーハウスでは、初期のころは宗教的な意味合いが影響して、独自のユニークな状況が生まれました。一部のコーヒーハウスが、床屋を兼ねるようになったのです。
当時の床屋は、バザールなど商店街の混雑した通りや、大きなモスクを巡回して商売をしていました。出前式だったのですね。
しかし、コーヒーハウスができると、そこが床屋を兼ねるようになりました。当時の床屋は、ひげ剃りのほか、割礼、抜歯、瀉血(しゃけつ/病気の治療のため、血を抜くこと)などの簡単な医療行為も行っていました。
そもそも床屋談義という言葉が日本にもあるくらい、床屋は人々が会話をはずませる場でもあり、コーヒーハウスとの親和性も高かったのでしょう。
しかし、それだけが理由ではありません。
しばしば「コーヒーハウス禁止令」が出されたことも一因です。特に17世紀前半にスルタンとして活躍したムラト4世(在位1623〜1640)の時代には、最も厳格なコーヒーハウス禁止令が出されました。



















無料会員登録はこちら
ログインはこちら