「コーヒーハウス禁止令」が出たオスマン帝国でなぜか急増…人々がこっそり駆け込んだ"意外な場所"

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一方、コーヒーに関しては、宗教上禁止をする理由は特になかったので、コーヒーが飲めるコーヒーハウスが誕生しました。

人々の社交場になった「コーヒーハウス」

オスマン帝国にコーヒーが入ってくると、コーヒーハウスが誕生します。年代に関しては諸説ありますが、おおよそ16世紀半ば、スレイマン1世の全盛期にあたります。

コーヒーハウスはオスマン軍の騎兵やイェニチェリの集う場所になり、また人々がドラフツ(ボードゲームの一種)やバックギャモン、チェスなどのゲームも楽しんだりもしました。

それまで、人々の社交場は、イスラム教徒の祈りの場でもあるモスクでした。しかし、誰もが気軽に利用できるコーヒーハウスは瞬く間にイスタンブールに広まり、様々な立場の人たちが集まってきました。

知識人やスーフィー(イスラム神秘主義者)たちが議論を交わす場となり、貧しさにあえぐ人たちの避難所としても利用されました。

コーヒーの魅力は、その手軽さにもありました。

食事をごちそうするよりもコーヒー1杯をおごる方が安く済んだので、客人をもてなす場として多くの人たちが利用するようになりました。

今でもイスラム教徒の間には、客人を丁寧にもてなす文化がありますから、宗教的・文化的背景もあったのかもしれません。

コーヒーハウスの人気はますます高まり、裁判官、大学教授、政府高官、官僚、知識人、宗教関係者から無職の者まで、あらゆる身分の人々が訪れるようになりました。

スレイマン1世の息子であるセリム2世(在位1566〜1574)や、その子ムラト3世(在位1574〜1595)の治世には、首都イスタンブールのコーヒーハウスの数は600軒以上に増加し、1630年までに1000軒に達しました。

コーヒーハウスはまた、知的な雰囲気を醸し出す場所でもありました。詩を朗読したり、それを聞いたり読んだりする客もいました。

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