《日本人が見たミャンマー軍事クーデター後のリアル》激しさ増すデモと容赦なき弾圧。「どうか無事に」の思いも虚しく、19歳女性が頭を撃たれ…
情報も着信もなくなった午後、偵察がてら自宅周囲を歩いてみることにした。2月上旬のヤンゴンはのどかな陽気で、Tシャツで歩くのにちょうどいい。「軍事クーデター」という物々しい現実とのギャップに、脳が一瞬バグる。
だが、そのとき道の向こう側に不自然な光景を見つけた。ベンチに座って井戸端会議をしているおばさんが、みな不自然に片手をあげているのだ。何だろう、と目をこらすと、指を3本揃えて立てていた。あっ! と思わず立ち止まる。フェイスブックで見た、軍への抵抗を表すジェスチャーだ。三本指を立てて応えると、おばさんたちはパッと嬉しそうな顔をした。
さらに大通りに近づくにつれ聞こえてきたのは、無数のクラクション。ヤンゴンを南北に貫くカバエパヤー通りは、音の大洪水だ。車窓からは、3本指を立てた腕が突き出されている。
それに応えるように、歩行者も、バスを待つ人も、自転車に乗った人も、みな3本指を高く掲げる。私も3本指を立てて歩きながら、すれ違う人々と微笑み、頷きあう。抗議運動はこうして、青空の下、清々しいほど平和に始まったのだった。
何十万、何百万もの人々が声を上げた
翌日曜になると、抗議運動は勢いを増した。インターネットも電話も遮断されたままだが、朝から絶え間ないクラクションや拍手、音楽が響いてくる。友人によると、今日からヤンゴン中の全ての公立病院がCDM(市民的不服従運動)に入るらしい。また、国家顧問のアウンサンスーチー氏とともに1988年の民主化運動を率いた活動家、ミンコーナイン氏が街のどこかに姿を見せるという噂も出回った。
彼は2月1日、辛くも軍の拘束を逃れ、その後はフェイスブックで非暴力での抵抗を呼びかける動画などを投稿していた。抗議運動は、予想以上に一気に本格化しそうな気配だった。
外に出てみると、自宅周辺は昨日より「赤く」なっていた。スーチー氏率いる民主派政党、NLDの色だ。赤い風船で飾られた屋台。赤い洗濯物ばかり干してあるベランダ。赤いロンジーを着た子どもたち。大通りでは、スーチー氏の顔写真や赤い旗をつけた車が、盛大にクラクションを鳴らして走っていた。何も知らなければ何か楽しいお祭りのようだ。
夕方、ようやくインターネットの遮断が終わった。続々とフェイスブックにアップされる各地の映像や写真を見て、私は鳥肌が立つような感動を覚えた。人々が声を上げたのは、ヤンゴンだけではなかった。ミャンマー全土の、街という街、村という村で。山岳地帯で、乾燥地域で、海岸沿いで。
何十万、何百万もの人が抗議の声を上げていた。インターネットが遮断され、他の地域の状況もよくわからない中、国民は一斉に立ち上がっていたのだ。半世紀もの間、耐えに耐えて、ようやく摑みとった民主主義。たった5年で終わらせてたまるか! そんな叫びが聞こえる気がした。



















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