ただし、真鍮では金属が柔らかすぎ、すぐに曲がってしまうという致命的欠点があった。
その後、1971年からの円高に伴い日本人の趣味は多様化。バンドブームは収縮し、シンバルのニーズは減少。小出製作所も家電や車両部品の依頼が増え、シンバルをつくらなくなっていく。国内での真鍮製シンバル製造は、途絶えた。
ところが、それから約30年後の1999年、再びシンバルとの縁が訪れたのだ。
「僕はシンバル製造について知らなかったので、研究してみようかなと。400年以上も前からつくられている楽器だから、多分つくれるだろうと」
小出製作所は「へら絞り(スピニング)」と呼ばれる金属加工が専門の工場だ。その技術は、シンバルの表面を削る「レーシング」という工程に役立つという知識はあった。何より本業が好調で、研究に投資する余裕もあった。だから、決断した。
「同じ金属加工ならできるはずや。やってみよう」
国産シンバルをつくる、「オンリーワン企業」になれるかもしれないワクワク感も背中を押した。
日本にないものをつくろう。誰もやらないなら、自分がやる――。
2代目の挑戦がはじまった。
鍋・釜から鉄道部品へ――78年の歴史
鍋、釜、やかん。小出製作所のはじまりは、台所の「三種の神器」である。1947年、第2次大戦後の混乱期に、創業者で小出社長の父である茂雄さんが、弟二人と始めたへら絞り加工の工場だ。当時は、飛行機などの材料のために市民が金属を「供出」させられたことで、金物がいちじるしく不足していた。つくれば「飛ぶように」売れたそうだ。
ところが、時代が進むとともにへら絞り加工の工場が増え、価格競争が激化する。そこで茂雄さんは、他社に真似できない難加工のへら絞りへ、徐々に移行していった。
「へら絞り」とは、回転する金属板にへら棒を押し当て、少しずつ削って形を整えていく金属加工技術だ。職人の感覚がものを言う、繊細な作業である。高い技術を持つ小出製作所は、失敗が許されない鉄道車両の空気ばね、医療機器、通信機器、家電部品などを手がけてきた。その技術を武器に78年間、下請けとして生き残ってきたのだ。


















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