従業員3人の町工場から「世界5強」に挑んだ!→「資料も師匠ない」逆境から《日本唯一のシンバル》をつくった76歳社長の執念

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小出製作所 シンバル
700度の加熱炉から取り出した真っ赤な青銅板を水場へ(写真:筆者撮影)

ここは大阪市平野区の町工場。日本で唯一シンバルを製造する「小出製作所」だ。シンバルといえば、ドラムセットに欠かせない打楽器である。オーケストラでは、2枚を合わせてシャーンと打ち鳴らす様子を見たことがある人もいるだろう。

しかし、存在感と反比例してその市場は小さく、製造している国は両手に満たない数だ。しかも、アメリカのジルジャン、そこから枝分かれしたカナダのセイビアン、スイスのパイステ、ドイツのマイネル、トルコのイスタンブール。大手5社が、9割のシェアを握っている。なかでもジルジャンの存在感は大きく、「ジルジャンとその他」と言われるほど。

2003年、日本で唯一そこに挑んだのが、従業員わずか3人の小出製作所だ。

小出製作所 シンバル
金プレス機に置き、「カップ」と呼ばれるシンバル中央部分の盛り上がりを成形する(写真:筆者撮影)

「ないなら、つくってみませんか」若手の何気ないひと言

きっかけは1999年、気温30℃を超える日がわずか4日しかなかった夏のできごとだった。

当時小出製作所は、ヤマハのティンパニ製造を請け負って大忙し。人手が足らず雇用した中途社員と小出俊雄社長が雑談していた際、たまたまドラムが趣味だった彼と、「シンバルを製造している会社が日本にない」という話題になった。

「ないなら、つくってみませんか」

何気なく社員が放った一言が、小出社長の心に火をつけた。

あのとき親父がつくれなかった「本物」を、今ならつくれるのではないか――。

実は小出製作所には、シンバル製造の「前歴」がある。

1962年、『Love Me Do』が大ヒットし、世界をビートルズが席巻。日本でも沢田研二がいたザ・タイガースなど、エレキギターをかき鳴らすグループサウンズが全盛期を迎えていた。ブームを受けて、ドラムの需要は急増。小出製作所の先代社長 茂雄さんも楽器メーカーから依頼され、真鍮製のシンバルを手がけたのだ。

真鍮は銅と亜鉛の合金で「よく伸びる」性質があり加工がしやすい。しかも安くつくれるという理由で、当時の日本では「真鍮製シンバル」が出回っていた。本来は青銅製が主流だが、その頃、日本は青銅の知識も、加工技術も持ち合わせていなかったのだ。

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