戦後日本リベラルは台湾に無関心で無理解。高市首相の「台湾有事」答弁で改めてわかった中国に沈黙する構造問題
それに対して台湾は、日本が当事者性を免れえないほど近い。だからこそ、台湾問題について考える際には日本を中心に考える思考的な枠組みから自由になることが難しいのだろう。それゆえ台湾市民が直面する中国の帝国主義的暴力を、人権の観点に基づき正面から論じることを躊躇してしまう。
パレスチナ問題と台湾問題に対する反応の違いこそ、「日本国家を超えた人権意識(およびその実践)」の欠如を露呈しているといえる。そしてこの欠如こそ、日本が行きついた平和国家イデオロギーの先――すなわち「一国平和主義」の限界――を示している。
アメリカ中心の視座を超えられない構造問題
2つ目の理由は、戦後日本の左派・リベラル知識人は長らく戦前日本の帝国主義への反省と戦後アメリカの帝国主義を批判してきた歴史だ。戦前の日本や今なお続くアメリカの帝国主義的な振る舞いは厳しく批判されるべき対象である。しかしその結果、日本の左派には「アメリカ以外の帝国主義(特にアメリカと対立する帝国)」や「他国、特に日本帝国主義の被害者だった国々による国家暴力」に対する批判が相対的に弱い。
パレスチナ問題と台湾問題に対する姿勢の違いは、その顕著な例だろう。パレスチナで人権侵害を続けるイスラエルの背後にはアメリカの影響があるため批判の矛先を向けやすい。一方、台湾問題では今や現状変更を図ろうとする加害者は中国である。
中国の帝国主義は戦後日本のリベラルが築いてきた「反帝国主義」という枠組みには収まらない。その点で、日本の右派政権がアメリカ外交に従属してきたと批判されるのと同じく、日本の左派やリベラルはアメリカ中心の視座を超えて他の帝国主義を等しく批判することが難しい構造的問題を抱えている。
首相官邸前での抗議集会の呼びかけ文には、「日本はかつて台湾を植民地支配していたという歴史的事実があります」と書かれていた。そして、「旧宗主国である日本が『台湾有事=日本の実力行使』と結びつける発言を行うことは、中国側にとっては、日本が再び台湾に軍事介入しようとしていると映り、中国を挑発し、日本だけでなくかえって台湾自身の安全をも脅かします」と主張されていた。
この論点は、表面的には植民地主義に対して敏感な姿勢を示しているように見える。しかし、台湾の歴史を少しでも理解していれば、この主張は戦後日本の左派・リベラルが台湾に無関心であり続けた結果にすぎないことがわかる。その問題とは次の3点である。


















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