戦後日本リベラルは台湾に無関心で無理解。高市首相の「台湾有事」答弁で改めてわかった中国に沈黙する構造問題

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今回の高市答弁を受けて、1972年日中共同声明を引用し、「台湾は中国の一部であり、台湾問題は中国の内政問題だ」と主張する政治家・批評家・学者も少なくなかった。すでに九州大学の前原志保准教授による解説論考「新聞ですら間違える『台湾問題』への日本の立場」(11月18日配信)で指摘したように、日本政府は1972年の声明において中国側の主張を「理解(understand)」「尊重(respect)」という、賛同というよりも曖昧さを含む語彙で受け止めているにすぎない。

にもかかわらず、「台湾は中国の内政問題であり、日本はその原則を守るべきだ」と断言する言説が日本の一部で根強く広がった。これらは中国政府の一方的な主張を結果的に補強する危うさをもつ。

大国主義を優先する日本リベラルの皮肉

首相官邸前の集会の呼びかけにおいても「台湾は中国の一部」とまでは明示されないものでも、日中共同声明を根拠にして、高市首相の発言は「日中国交正常化を支える外交原則すら動揺させかねない」と主張しているケースが多かった。中国政府の立場を批判的に検討することなく受け入れてしまう危うさに加え、個人の自由や民主的な価値観を重視するリベラルの立場でありながら、小国の声を踏みにじる大国間の条約や外交原則を優先するという皮肉な構造が表れている。

多くのリベラル系とみなされる知識人らが中国に対して大国間の外交原則を優先する一方、彼らは積極的にパレスチナ支援運動に参加している。その際、「日本とパレスチナは国交がないので外交原則に反する」といった配慮をしているだろうか。おそらく、ほとんどしていないはずだ。

パレスチナに対する深刻な人権侵害が、大国主義的暴力の歴史的帰結であることは広く認識されている。人権と民族自決を支持する立場からすれば、現地の当事者の声よりも大国間の条約や外交原則を優先することはありえない。日本政府は見送ったものの、日本でも政府のパレスチナ国家承認を求める声が上がっている。

なぜパレスチナ問題では大国主義への批判的視点が鮮明な一方で、台湾問題になるとその視点がいわゆるリベラル系知識人の中で急に鈍るのか。

筆者はここで2つの理由を挙げたい。

第1は近接性の問題だ。パレスチナ問題は日本にとって地理的・政治的に遠い存在である。日本の大手企業はイスラエル軍に製品やサービスを提供しているという点で当事者でもあるものの、ガザ虐殺で日本有事の状態にはなる可能性はほぼない。そのため、日本は第三者として支援する立場を取りやすい。

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