福田組『新解釈・幕末伝』で山田孝之が演じた木戸孝允、真の意味で強かった「逃げの小五郎」 の素顔とは
地味で存在感が薄い理由
薩摩藩士の西郷隆盛と大久保利通と並んで「維新の三傑」の一人とされる、長州藩士の桂小五郎。明治維新後は「木戸孝允」の名で知られる人物だが、西郷や大久保と比べると、やや存在感が薄い。
彼につけられたあだ名が、軽んじられている原因の一つかもしれない。人呼んで……逃げの小五郎。
敵に襲われたときの逃げ足の速さからそう呼ばれたが、幕末の志士としてはあまりにも情けない呼び名だ。実際は、どんな人物だったのか。
1833(天保4)年、長門国(山口県)萩城下の呉服町江戸屋横丁に、眼科と内科を専門にする藩医・和田昌景の長男として生を受けた。
和田家にはすでに跡継ぎがいたが、折しも隣の桂家では当主である桂孝古(たかふる)が62歳で病に伏しており、跡取りを探していた。そんな機に恵まれて、小五郎は8歳のときに桂家の養子として迎え入れられることになる。



















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