「国を富まし、そして窮民を救済せよ」田沼意次の北海道開拓に立ちはだかる障壁と”随一の蝦夷通”に引き継がれた野望

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田沼意次侯像
田沼意次侯像(牧之原市史料館所蔵)
NHK大河ドラマ「べらぼう」では、江戸のメディア王・蔦屋重三郎(つたや・じゅうざぶろう)を中心にして江戸時代中期に活躍した人物や、蔦重が手がけた出版物にスポットライトがあたっている。連載「江戸のプロデューサー蔦屋重三郎と町人文化の担い手たち」の第24回は、田沼意次に蝦夷地の開拓を提案した工藤平助や、実際に蝦夷地で調査を行った最上徳内について解説する。
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変わり者の医師が田沼意次に進言

「この際、ロシアと堂々と交易をすれば、日本の国力は増すことになるでしょう」

老中の田沼意次にそんな大胆な提言を行ったのは、工藤平助(くどう・へいすけ)である。江戸詰めの仙台藩医だったが、なかなかの変わり者だったようだ。

医師は剃髪するのが当然とされた時代に、平助は髪の毛を伸ばして、自分流を貫いた。そんな平助を面白がってか、訪れてくる者も病人のみならず、多種多様だった。

平助の娘で国学者の只野真葛(ただの・まくず)が書いた『むかしばなし』という随筆によると、平助の魅力に引き寄せられるかのように、学問に傾倒する者や蝦夷地から上京してきた者、さらに賭博者までもが、訪ねてきたという。

そんなある日、平助のもとに田沼意次の用人が訪ねてきた。主人の意次について「富にも禄にも官位にも不足なし」としながら、こんなことを言い出した。

「この上の願望としては、老中の実績として、永続的に人々の役に立つことを成し遂げておきたい。どんなものがよいだろうか」

財も地位も申し分ないので、あとはさらなる名誉を、といったところだろうか。これを聞いた平助は「それそれ! そのことよ!」と前のめりになり、こうぶち上げたという。

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