福田組『新解釈・幕末伝』で山田孝之が演じた木戸孝允、真の意味で強かった「逃げの小五郎」 の素顔とは

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池田屋事件以後は、お尋ね者として完全に追われる身となってしまった小五郎。

運が尽きて、幕府の役人に取り囲まれたこともあった。このときばかりは、奉行所に連行されるほかなかったが、途中で小五郎が「便意を催した」と言って、厠へと向かう。

もちろん、見張りはついたままだが、厠の前で袴を脱ごうとするしぐさをみて、役人が一瞬、油断した。その瞬間、小五郎は脱兎のごとく逃げ出すと、そのまま、河原町通りを駆け抜けていった――。

強いがゆえに一人も殺さず

しかし、小五郎ほどの剣術の腕があれば、危機的な場面でも、もう少し格好の良い切り抜け方ができそうなものだ。

それでも“逃げ”に徹したのは、実は小五郎が免許皆伝を得た神道無念流は「むやみに剣を用いない」ことを理想としていたからだ。ここに小五郎が剣の達人にもかかわらず、剣を用いずに逃げまくった理由がある。

神道無念流の道場の壁には、次のような書が掲げてあった。

「剣を学ぶ人は心の和平なるを要とす」

「兵は凶器といえば、その身一生用いることなきは大幸というべし」

小五郎はこの教えを生涯守ったといわれている。

ただし、2つ目に挙げた言葉には「これを用いるは已むことを得ざる時なり」と続く。小五郎も夜の四条通で3人に尾行されて、どうしようもなくなったときは、いったん厠に逃げてから、追っ手に迫られた瞬間に振り向いて相手を斬りつけ、その場から逃れている。

長州藩が京に出兵して会津藩・薩摩藩に敗れた「禁門の変」以後、小五郎はさらに危険な立場に置かれるが、見事に京から脱出すると潜伏生活を経て、長州藩の統率者として故郷に迎えられている。

このように、小五郎は強かったからこそ、流派の教えに従って相手も自分も傷つけずに逃げることができた。そして、いざというときにだけ相手を殺すことなく、剣を振るって死地を脱したのである。

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