「監獄で銃を頭に突きつけられた」「怖い犬が入ってきた」。イスラエル軍に拘束された「イタリア人活動家」が激白…《ガザに向かった船団》の舞台裏

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友人を含む15人のイタリア人は6日間拘束された後、帰国が叶った。私は、少し落ち着くのを待って、彼に会いにいった。一番に聞きたかったのは、彼が参加を決めたときの気持ちだ。

イスラエルの牢獄に拘束されて恐ろしい目にあったとはまったく思えない、活力のある表情でアブ(友人アブデラマンの通称)は以下のように語ってくれた。

――そもそもGSFってどういう団体なの?

「GSFはずっと以前から存在していて、過去にはガザに到着できたこともあるんだ。今年の6月には2艘の船がガザへ向かったけど、イスラエルに止められた。グレタ・トゥーンベリーが乗っていて拘束され、飛行機に乗せられて帰国したやつだよ、ニュースでみんなも見たよね。

それで、じゃあ次はもっとたくさんの船で向かおう、ということになって企画され、最終的に50隻の船が集まった。乗船の募集にはなんと3万7000人もの申し込みがあったんだよ。約500しかない枠に対してね。世界中のたくさんの人が、ガザのために何かしたいと願っていたんだ」

「それで最終的には48隻が出発した。そのうちの何隻かは、チュニジアでイスラエルから攻撃を受け出発ができなかった。僕が乗った船は9月3日にシチリアのカターニャから出発するはずだったのが、ずいぶん遅れて出発した。夜中にエンジンに細工をされて動かなくなってしまったんだ」

「僕はアクションエイドの会長としてではなく、個人として乗船することを決めた。パレスチナの痛みを見て、どうしても何かしたかった。楽しいことや美味しいことを投稿しようとインスタを開けると、毎日毎日ガザの惨状が目に入ってきて、楽しく暮らしてなんかいられないと思ったんだ」

2010年には9人の活動家が殺された

船
アマジュさん(右)は、カナダ、アメリカ、ドイツ、オランダ、スウェーデン、アイルランドなど、さまざまな国から来た9人と一緒に「パオラ・ウノ号」に乗船。デモや請願行動以上の行動を起こして、パレスチナの惨状をなんとかしたいという同じ想いを皆が抱いていた(写真:アマジュさん提供)

――ガザに行く、イスラエルの海上封鎖を突破するということは、死に直面するような危険もあったのでは?

「出発したとき、自分の命が危険にさらされるかもしれないって覚悟はしてたよ。2010年には、やはりガザへ向かった船団で9人の活動家が殺されたからね。でも、航海を続けて、虐殺にノーと言い続けて、ガザの悲劇を止めるためなら何でもしたい、そんな気持ちのほうが強かったんだ。僕には11歳の息子がいるけど、まず彼に、そのことを伝えたんだ。息子はね、パパ、僕も行きたい、って言ってくれたよ」

――でも実際にドローン攻撃などを受けたときの恐怖はすごかったのでは?

「イスラエル軍はまず9月23日の夜、 大規模なドローン攻撃を仕掛けてきて4隻の船を破壊した。そして僕たち乗員のワッツアップ(無料のメッセージ・通話アプリ)にイスラエル軍はメッセージを送ってきた。ラジオにも侵入してきた。

だから別の、プライバシーとセキュリティーの高いアプリを使ってメンバー同士連絡を取り合っていたんだけど、あのときは本当に恐怖を感じた。イタリア政府も引き返せと言ってきたし。こいつらは今、俺たちを殺しかけているって思ったよ」

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