「脚本に関わらないほうが…」「女性観に問題がある」…最新作『果てしなきスカーレット』が大コケの細田守監督への"バッシング"が過熱する背景
いかに親近感を根付かせるか。その“販促ツール”としてのSNSもまた、今では欠かすことができない。これについても、新海監督は日頃から投稿を行い、Xでは100万フォロワーを得ているのに対して、細田監督は表立ってSNS活動を行っていない。
いまや「SNSの有無」は、コンテンツビジネスにおいて必要不可欠だ。「一般ユーザーとの親近感を構築できる場」のみならず、いざという時に「自らの見解を示す場」としても有用だ。まさに今回のような状況下では、生の声を届けるツールとして、あるに越したことはない存在である。
加えて、見解を示すのは、「いざという時」が来る前でもいい。人々の心情を先回りして、予防線を張ることもできるのだ。例えば、24年1月1日夜、『すずめの戸締まり』のBS放送を前に、新海監督はXで「本作品には東日本大震災に関わる描写があり、緊急地震速報の警告音(架空のものではありますが)が流れるシーンもあります」といった注意喚起を行った。
この投稿の数時間前、石川県では能登半島地震が発生していた。
それを受けての投稿であり、「災害からの回復を願う気持ちで制作した物語ではありますが、本日放送されることで気分を害される方、心が傷つけられてしまう方もいらっしゃることと想像します」などと、被災地へ思いを寄せる内容であったため、温かいリプライが多く届いた。
「いかに観客を巻き込んでいくか」がカギ
ネット空間には「本人が見ていない・反応しないのであれば、何を言ってもいい」のような心理が確実にある。また「SNSにおける風評には、SNS上で立ち向かうべきだ」との価値観も根強い。「匿名のヤツらが何か言ってるよ」程度の認識でいると、判断を見誤ってしまう。
エンタメには、制作者が意図して生み出した「余白」に対して、いかに受け手が想像力を働かせて、そこを埋めるかの楽しみがある。しかし、最近のエンタメ消費は「いかに観客を巻き込んでいくか」が、ひとつのカギとなっている。
そこで消費者が関われる要素がなければ、「作り手のエゴ」として敬遠されてしまう。コンテンツ産業も、いまや生産者の権威性だけで通用する時代でなく、流通まで考える必要が出てきた。そうした背景を考えてみると、『果てしなきスカーレット』の不振は、ある程度予想された展開だったと感じられるのだ。
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