「脚本に関わらないほうが…」「女性観に問題がある」…最新作『果てしなきスカーレット』が大コケの細田守監督への"バッシング"が過熱する背景

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あらゆるコンテンツは「受け手の感受性」に委ねられる。受け手の感想はSNSの普及によって、可視化され、増幅するようになった。ユーザー同士が“違和感”で共鳴しあえば、「才能が枯れた」といった主観的なバッシングにつながりがちになる。

作品の主導権は、いまや作り手ではなく、受け手が握っている。もはや「作家のやりたいようにやる」時代ではない。「いいものを作ればいい」ではなく、「しっかり届く」ことが重要なのだ。

マーケティングでは、自社が作りたい製品を市場へ送り出す「プロダクトアウト」と、消費者ニーズに合った製品を開発する「マーケットイン」といった考え方がよく使われる。コンテンツである以上、作家の独自性は必要だ。そのため、制作段階では前者の発想は欠かせないのだが、こと流通面においては、後者寄りの「市場に合った届け方」を、あわせて意識する必要がある。

親しみやすく、語りたくなる作品が「成功の王道」

その点、うまくバランスを取れていると感じるのが、新海誠監督のアニメーション作品だ。『君の名は。』(16年)、『天気の子』(19年)、『すずめの戸締まり』(22年)といった大ヒットを飛ばしているが、いずれも作品そのものに加えて、「どう観客が受け取るか」を意識しているように思える。

これらの作品が、なぜ受容されるのか。そこには「リアルな日常と地続き」である感覚があるように思える。実在する商品が、そのままの名称で登場する。いつもの車窓が、駅前が、そのまま描かれている。「自分も同じ世界観の中にいる」と感じることで、作品にのめりこみ、さらに好きになっていく。

別に「観客にこびろ」と言っているわけではない。そうした下心が見えれば、あまのじゃくなネットユーザーは、一気にバッシングを始めるだろう。また、別世界を舞台にしたファンタジーを否定するわけでもない。

しかし、“聖地巡礼”が一大産業になっている日本においては、圧倒的に親しみやすい、かつ語りたくなる作品に仕立てることは、もはや「成功の王道」になっていると言っても過言ではないだろう。

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