「脚本に関わらないほうが…」「女性観に問題がある」…最新作『果てしなきスカーレット』が大コケの細田守監督への"バッシング"が過熱する背景
各社報道によると、制作に入っている日本テレビが12月1日に行った定例会見で、澤桂一取締役は「大苦戦のスタート」と表現し、その背景にはファンからの戸惑いや驚きがあったとの可能性を示した。あわせて、SNSでは好評がネガティブな意見にかき消されている、という見解を述べたという。
たしかにSNSでの反応を見てみると、批判的な声が中心だ。映画館では空席が目立っていた、といったレポートとともに、その不人気ぶりに触れる投稿が多発。かえって「ここまで酷評されているなら、むしろ見たくなる」といった反応さえ出ている。
先に言っておくと、筆者はエンタメのプロではないため、作品そのものの比較や論評はできない。ただ、ネットメディア編集者として、これまで「エンタメコンテンツがSNSでどう受容されてきたのか」を見てきた立場としては、一日の長がある。
その経験から考えると、“細田たたき”をめぐっては「そもそも細田映画のマーケティング手法が、SNS時代に合っていなかったのではないか」という問いが浮かぶ。これまではヒットを連発してきたため、違和感が表面化してこなかった。しかし、ひとたび失速すると、それが目立ってきたのではないか。
SNS上では、違和感に対して「明確な回答」が求められる。それが論理的かどうかを別にして、ひとまずの見解を示す必要が出てくるのだが、現状では十分果たされていないように感じるのだ。
例えば、細田作品をめぐっては、「細田監督による脚本への関与度が、質を大きく左右している」という指摘が多々見られる。『時をかける少女』と『サマーウォーズ』は奥寺佐渡子さんによる脚本だったが、『おおかみこどもの雨と雪』では奥寺・細田の共同脚本に。『バケモノの子』は奥寺さんが「脚本協力」となり、「脚本」は細田監督のみに。そして『未来のミライ』以降は、奥寺さんのクレジットはなくなった。
過去のインタビューのスクリーンショット付きの投稿も
SNSの反応を見ていると、こうした脚本担当者の変遷が、「自分本位の作品作りになっているのでは」といったバッシングにつながっているように見える。また、「過去のインタビュー取材で、脚本軽視の発言をしていた」という、スクリーンショット付きの投稿も出回っている。
その他にも、細田作品は女性観に対して疑問の声も少なくない。「献身的な母性」や「母性的な力」を連想させる描写があるとして、そこから「女性を従来の役割に縛りつける」という批判や、「家父長制を美化している」という意見が出ているのだ。昨今主流になっているジェンダー観から逸脱しているとなれば、これまた違和感につながってしまう。
本来であれば、強大なコンテンツパワーで、これらの疑問を払拭できれば一番だろう。しかし、興行的にそれが難しいのであれば、やはり「自らの口で説明する」ほかない。しっかり真意が伝わらなければ、先入観だけをベースにした投稿が増えても当然だ。



















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