このような分類をしたのは、日常的な会話で、僕たちが気軽に使っている神さまという言葉がどれだけ多様な意味で使われているかを確認するためだ。
神さまは内面の大きさと形態を反映する
僕たちは、他人と同じ言葉を使って円滑な意思疎通をしていると信じている。ところが実際には、それぞれが使う言語はたいてい異なっていて、これによってお互いに理解している意味もちがってくる。
このような言語の主観性は、言い方を変えれば、個人が使用する言語が、その人の内面を反映する標識になるともいえる。「神さま」という言葉も同じだ。
僕が使う神という単語の概念は、僕の内面の大きさと形態をそのまま反映する。僕がキリスト教信者だとしたら、僕が使用する「神さま」という単語はキリスト教の神になるはずで、僕がヒンドゥー教信者だとしたら、僕が使用する「神さま」という単語はヒンドゥー教の神になるはずだ。
僕が自由主義者だとしたら、僕の神さまも自由主義者なはずで、僕が社会主義者だとしたら、僕の神さまも社会主義者なはずだ。
僕が絶対主義者であれば僕の神さまも絶対主義者で、僕が相対主義者であれば僕の神さまも相対主義者であるはずだ。
実は、僕たちはすでに知っている。誰かが神について話すとき、その神さまは話している人の内面を反映するということを。
神さまはその人の心の中にいるということだ。
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