最後に3つの中でもっとも抽象的なAは、特定の存在や人格的主体ではなく、宇宙全体、もしくは宇宙の根本原理や法則としての神さまだ。
ヴェーダ神話のブラフマンがこの類型のもっとも典型的な姿といえる。ブラフマンは人間性を超えて万物の根拠になる大宇宙の本質だ。
老荘思想の道、仏教の涅槃(ねはん)、もしくは空(くう)、現代物理学の万物の理論(ToE)が描く世界がこれに属する。これは抽象化の過程の果てにあるもので、究極の全体を意味する。
人間と断絶する神、人間と同一線上の神
それぞれのタイプは順番に「C 多神論」「B 唯一神論」「A 汎神論」といわれる。
Bの唯一神論とAの汎神論は一般的に対立する概念として知られている。それはこの2つが神と人間の関係について、大きく異なる観点を持っているからだ。
唯一神論は神と人間を断絶の関係としている一方で、汎神論は神と人間を同一線上で理解する。たとえば、Bに属する『旧約』の神さまは宇宙と世界の創造主であって、彼の創造物である人間と同一な存在ではない。
どこまでも神さまは神さまだし、人間は人間。だから、普通の人間が「私が神さまです」と名乗ることは決して認められない。
一方、Aの『ヴェーダ』のブラフマンは、宇宙と世界それじたいであると同時に、個別的な人間の真の自我と同一視される。つまり、神はあらゆるもので、自我の本質は神と同一。ここでは「私が神さまです」というのは無礼な言葉ではない。
神さまを大まかに3つのタイプに区分したけれど、このうちどの観点が正しくてどの観点がまちがっているかということを言うつもりはない。もしくは、個人的な信念や信仰が正しいか正しくないかを判断しようとしているわけでもない。



















無料会員登録はこちら
ログインはこちら