トルコ《カッパドキア》の「洞窟ホテル」が最高すぎた!気球に乗って美しい景色を見下ろす"至福の体験"も

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―それはつらい。憎きセルビア、にっくきロシアですね。

先生:という訳で、オスマン帝国はロシアと対立していたドイツに接近するんですね。敵の敵は味方ってやつ。

―なるほど! そもそもトルコとドイツは近い存在でしたもんね。

先生:第1次世界大戦では、オスマン帝国はドイツ側で参戦することになりました。結果は知ってのとおり、ドイツが敗北します。

オスマン帝国も連合国とそれはものすごく不利なセーヴル条約を結んで講和しました。オスマン政権は連合国の出した条件をそっくりそのままのんでしまうんです。

―トルコの国民は激怒だ。

先生:民衆の反発を抑えるため、戦勝国はかねてよりオスマン帝国と敵対関係にあったギリシアを支援して、トルコに宣戦布告させました。社会主義革命が起こったりしたら大変ですからね。

―戦争終わった後に、すっごい災難ですね!

オスマン帝国からトルコ共和国へ

先生:ギリシア軍はトルコ西部の軍港イズミル(エフェソスの近く)を占領したんだけど、オスマン政府はまあ仕方ないなぁという感じで、及び腰だった訳です。

そこで立ち上がったのがムスタファ=ケマル。彼はアンカラにトルコ大国民議会を建てて、ギリシアと連合軍に対して抗戦しました。ケマルの軍はイズミルを解放し、ついにイスタンブルへと入城します。

―そして、オスマン帝国を終わらせたんですね。

先生:そう。ケマルは1922年にスルタン制を廃止し、1923年には連合国と新たにローザンヌ条約を結び直します。そして、1923年にトルコ共和国の建国が宣言されました。このときイスタンブルに代わって、アンカラが首都となったのです。

アタテュルク廟
(画像『旅する世界史教室』P.209より)
『旅する世界史教室』
『旅する世界史教室』(かんき出版)。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします

―アタテュルク廟は威風堂々としてますね。あれ? 名前はムスタファ=ケマル?

先生:アタテュルクは「父なるトルコ人」という意味で、トルコの近代化を進めたケマルに対して議会が与えた尊称なんですね。

同行した友人ゼネプ:トルコ人のケマル=アタテュルクに対する尊敬の念はすごいで。いくら政府がダメでも、アタテュルクの功績だけは忘れません。

―アタテュルク廟は丘の上に建っていますね。街を一目で見渡せる絶景ポイントだ。

先生:ケマルは今でも、トルコの行く末を見守っているんですね。

山本 直人 世界史講師

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やまもと なおと / Naoto Yamamoto

世界史講師。京都市出身。立命館大学の理工学部に進学するも、途中で法学部に転部し、なぜか「満洲の馬政史」を研究する。学生時代からバイトで貯金をしては海外旅行におもむき、卒業後は海外専門の旅行会社に就職。専任の添乗員として年に180日ほど世界各国を飛び回る。添乗員の経験で得た見聞や経験を活かすべく、2015年に世界史講師に転身。四谷学院に出講するほか、2023年からはリクルート「スタディサプリ」で教鞭をとる。世界史を理解するうえで肝となる「いつ(時期)」「どこ(地名)」の情報を起点とし、できごとの「体系化」を意識させる授業が好評を博している。妻と娘、三毛猫と暮らす。趣味は料理とピアノ演奏。X(旧・Twitter)のアカウント「世界史の鳩」では、世界史の魅力を発信している。著書に『この20人でわかる 世界史のキホン』(PHP研究所)、『歴史の流れがパパッと頭に入る! 12のパターンで理解できる もう忘れない世界史』(KADOKAWA)がある。

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