モンゴル出身者が感動した親日派中国教師の教え 先生が歴史の教科書を「これは全部ウソ」と否定
「日本人のように正直に、公平に、規律正しく」
私の名を初めて目にされる方は、「楊海英とは何者か?」と思われることだろう。
そこで、私がこれまで見聞きしてきたモンゴル人と中国人の対日感情を、年代を追って紹介することで、私・楊海英(モンゴル名はオーノス・チョクトで、日本名は大野旭)についても知ってもらえればと思う。私の人生を振り返ると、モンゴル、中国、日本の関係性が見えてくる。そう考えるからだ。
まず私が生まれ育った土地は今、内モンゴル自治区と呼ばれている。かつて蒙疆(もうきよう)やモンゴル自治邦と呼ばれた時代は、実質的には帝国日本の支配下にあった。
ただ、日本に虐げられているという感覚はなかった。というのも、モンゴル軍の騎馬兵だった父は、幼い私に「日本人のように正直に、公平に、規律正しく生きなければならない」とよく話してくれたからだ。
私は1964年生まれだが、2年後にあの悪名高き文化大革命がはじまった。中国全土を混乱に陥れたことでのちに「災難」とまで評されるこの文革は10年も続いたのだが、私が12歳のときにようやく終わった。中国と無関係なはずのモンゴル人も故郷が中国に占拠されたがゆえに、大量虐殺の対象とされた時代である。
高校生になった私が、日本語の勉強をはじめると、家族は皆、よろこんだ。わが家が特別なわけではなかった。南モンゴル(あえてそう呼ばせていただくことにする!)には知日家が多く、傀儡政権を置かれた植民地という意識は薄かったからである。
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