「日米開戦」に反対の山本五十六が肌身で感じていた、日本が総力戦で【必敗する】具体的な根拠

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山本五十六は主戦派の陸軍と激しく対立していたという(写真:TAKEZO/PIXTA)
来る「昭和100年」に向け、さまざまなメディアで太平洋戦争の再検証がなされていますが、真珠湾攻撃の成功で知られる山本五十六は、じつはアメリカとの開戦に徹底して反対しており、主戦派の右翼から「売国奴」のそしりを受けていたそうです。
2度にわたるアメリカ赴任を経験した五十六だからこそ見抜けていた、日本が絶対にアメリカには勝てない理由とは何だったのでしょうか。別冊宝島編集部編集の『知れば知るほど泣ける山本五十六』から、一部を抜粋・編集してお届けします。

世論は「日米戦争を辞せず派」を支持

山本五十六は日米開戦に徹底的に反対した。五十六が海軍次官だった時は海軍大臣の米内光政と軍務局長の井上成美が、条約派三羽烏と呼ばれ、日米開戦に反対するグループを形成していた。逆に日米開戦を辞せずとしたグループが艦隊派である。

本稿では紙幅の都合上、詳しい解説は割愛するが、ここでは、条約派=日米開戦反対派、艦隊派=日米開戦辞せず派と認識してもらえばいい。

海軍には軍事畑と政治畑がある。いまの自衛隊でいえば、制服組と背広組の違いであろう。

制服組は自衛隊の現場の幹部たちで、背広組は防衛省の行政事務などの政務を担う。背広組がシビリアンコントロールを効かせ、制服組などの現場の暴走を抑えるわけだ。

現在の自衛隊は、設立当初からシビリアンコントロールが効いているから、現場の暴走はないだろうが、太平洋戦争当時の軍隊は全く違った。海軍でいえば、軍令部(現場)と海軍省が政策をめぐって対立をした。

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