「日米開戦」に反対の山本五十六が肌身で感じていた、日本が総力戦で【必敗する】具体的な根拠
五十六は、そこまで計算して、日米開戦に反対していた。しかし、日本国民は満州事変や日中戦争の初期の勝利に酔いしれ、米英、何するものかの艦隊派に傾いてしまった。その最も先鋭化したのが、右翼たちだった。
右翼たちは、五十六を「腰抜け、売国奴」とののしった。殺害予告もしている。実際、海軍省には連判状を持って面会を求める右翼の団体が後を絶たなかった。
海軍省の窓口は、右翼を追っ払うことが日常となってしまった。「山本次官を出せ! 出さないと爆破するぞ」と脅す右翼の抗議を、なだめるのが窓口の仕事となった。
「次官は会議で今は会えない」「出かけている」「まだ来ていない」などなど口実をつけて、連判状だけ受け取って、追い返す日々だった。
なかには、それでも、会議が終わるまで、帰ってくるまで、出仕するまで、待ち続ける者もいた。五十六は、そういう者には仕方なく会っている。
そして、彼らの言い分を聞いて、連判状も受け取った。しぶしぶであったが、そのことは顔に出さず、しっかりと受け取った。右翼と口論しても仕方ないことは、五十六が一番よくわかっていた。
「売国奴」と言えば、標的を追い落とせた
右翼の理論的支柱になっていた艦隊派や艦隊派と通じていた陸軍幹部と五十六は散々論争し、いつまでたっても平行線であることを経験していた。
そもそも右翼にとって、「五十六=米英の犬=売国奴」で十分だった。そこに七面倒な理論などいらなかった。これはいつの時代も一緒だ。右や左に関係なく、人を断罪できる言葉があれば十分。当時は「米英の犬」「売国奴」いまは「差別主義者」「レイシスト」だろうか。
「米英の犬」「売国奴」として、命を狙われた五十六だが、当初、自らの護衛のために憲兵をつけることを拒否した。理由は、憲兵は陸軍だったからだ。当時、陸軍には憲兵があったが、海軍にはなかった。憲兵は陸軍のスパイでもあったのだ。
陸軍は日中戦争を優位に終わらせるために、ドイツとイタリアと手を組みたがっていた。それによって日本の満州や中国の利権に反対するソ連とイギリスを牽制し、日本の利権を確たるものにしたかった。



















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