浩一が特に好きなのは伝記だった。それは自分が初めて感動した本が、野口英世の伝記だったからかもしれない。左手にハンデを抱えた彼が、医師の道へと進み、アフリカで黄熱病の研究に取り組み、自らも黄熱病に感染して殉職してしまう。
その伝記を読んだのは小学校低学年のころだったが、後半の数ページは涙で文字が読めなかったことを覚えている。
父の姿と重なる朝日堂の親父
朝日堂の店主の親父は六十歳前後で、いつもレジの前に仏頂面で座っている。でも別に機嫌が悪いわけではない。たんに腰が悪いのだ。時おり外へ出て、空を仰ぎながら腰の体操をしている。体操が終わると、決まって店舗脇の灰皿スタンドの前で煙草を吸う。
親父は未婚で子供はいない。一方で浩一は、物心ついたときには父がいなかった。祖母に聞くところによれば、父はよそで女を作ったとかなんとか。結果、母は神奈川郊外の実家へ帰り、祖父母と一緒に幼子を育てることにしたのだ。
浩一は幼いころから慣れ親しんできた朝日堂の親父に、なんとなく父を見てしまうこともあった。
灰皿スタンドの前で、体操後の一服をしている親父を見上げて言う。
「煙草っておいしいの?」
「まぁ、うまくもまずくもないな」
「じゃあなんで吸ってるの?」
「ずっと吸っているとな、習慣になっちまうんだよ」
「身体に悪いのに?」
「脳にはいいらしいぜ」
浩一はよく分からないというふうに首を傾げる。親父はどこか遠くを見ながら、二本目のマルボロに火を点ける。浩一は再び親父を見上げる。
「なんでサラリーマンじゃなくて本屋になったの?」
「坊主はサラリーマンになりたいか?」
「安定した給料がもらえるよ」
親父は苦笑する。
「坊主と同じくらいの年頃のときに、俺は本ばっかり読んでてな」
ゆっくりと煙を吐き出したあとに言う。
「俺が好きな本を、棚に並べて売りたいって思ったわけだな」


















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