【愛情ホルモン】が高濃度になったはずなのに…「愛が憎しみに変わるとき」脳内で起きていること
手を握る、肩に手を乗せるといったちょっとした接触でも、もしあなたがその相手に好意を持っていたなら悪い気はしないでしょう。好きな相手なら、嬉しくなって、自分も相手に触れたいと思うかもしれません。
ところが、まったく好意を持っていない会社の上司や同僚に突然、髪の毛や体の一部を触られたらどう感じるでしょうか?
きっと不快に思い、「セクハラではないか」と疑ってしまうかもしれません。まったく知らない人なら、痴漢行為として憤りを感じることだってあるはずです。
このように、同じ接触でも、相手との関係性や相手に対する感情によって、わたしたちはまったく違うように認知します。
好きな相手から「髪を切ったね」といわれたら嬉しいのに、関係性の薄い人にいわれると不快に感じてしまう、というようなこともあったりします。
「確証バイアス」が生む"さみしさ"の感情
さみしさにも、似たところがあります。
自分が好ましいと思う相手や関係性の近い相手――具体的には、家族や友だち、恋人などであれば、「自分の気持ちを共有したい、理解し合いたい」と思うことが多いでしょう。
そして、関係が近くなればなるほど、「気持ちを共有できているはず」「理解し合えるはず」「助けてくれるはず」と信じようとします。
わたしたち人間は、自分の先入観に沿った情報を集め、自分の都合のいいように解釈してしまう性質を持っています。これは、「確証バイアス」といわれるものです。
そして、それが実は錯覚であり、本当は理解し合えないのだと気づいたとき、さみしくつらい気持ちを抱えてしまうのではないでしょうか。
もし相手が自分にとってどうでもいい存在なら、自分の思いや気持ちを共有できなくても、相手から理解されずとも、まったく気になりません。
親子、きょうだい、夫婦、恋人、友だち、職場の同僚、上司、近所の人……。こうした関係性の違いと、付き合いの深さといった関係性の強弱によって感じ方が変わるのです。



















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