豊臣政権を崩壊させた原因は何だったのか――秀吉の"逆上"がもたらした「秀次事件」の残虐さから考える暗黒の未来

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淀殿が産んだ秀頼は、身長が197センチメートル、体重が161キログラムで相撲取りにしてもいいような大男だったようです。

「なんかおかしい」

俗に男の子は母親に似るとも言いますが、隔世遺伝の可能性が大いにあります。淀殿(茶々)の父親である浅井長政も180センチメートル以上あり、また母であるお市の方も、母方の伯父である信長も織田家は皆、背が高くて大柄でした。

秀吉再考
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淀殿自身も168センチメートルと長身だったようです。

ちなみに、秀吉は140とも150センチメートルとも見られていて、かなり小柄でした。

長身の遺伝子が秀頼に受け継がれていても不思議ではありませんが、当時の人にはそれはわかりません。遺伝子鑑定の話ではなくて、当時の人が「なんかおかしい」と思った事実が大事なのです。

しかし、秀吉に未来が見えていたとしたら?

別に秀次の子供に跡を継がせたいわけではないけど、秀頼が成長するまで守ってほしいと思っていたのに、勝手に疑心暗鬼にかられて、派閥抗争を引き起こし、勝手に切腹。秀頼の未来が真っ暗と史実のような展開が見えてしまった秀吉が逆上、八つ当たりの末に関係ない人間まで殺してしまった、と言えば筋が通ります。

秀頼・淀殿の自害の場所
秀頼・淀殿の自害の場所(大阪城)
倉山 満 皇室史学者、憲政史家、(一社)救国シンクタンク理事長兼所長

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くらやま みつる / Mitsuru Kurayama

昭和48年、香川県生まれ。平成8年、中央大学文学部史学科国史学専攻卒業。同大学院文学研究科日本史学専攻博士後期課程単位取得満期退学。主な著作に、『教科書では絶対教えない 偉人たちの戦後史』(ビジネス社)、『嘘だらけの日米近現代史』などをはじめとする「嘘だらけシリーズ」、『沈鬱の平成政治史 なぜ日本人は報われないのか?』(いずれも扶桑社)、『検証 検察庁の近現代史』(光文社新書)、『ウッドロー・ウィルソン全世界を不幸にした大悪魔』(PHP新書)、『史上最強の平民宰相 原敬という怪物の正体』(徳間書店)、『バカよさらば プロパガンダで読み解く日本の真実』『若者に伝えたい 英雄たちの世界史』『救国のアーカイブ 公文書管理が日本を救う』『決定版 皇室論 日本の歴史を守る方法』(いずれもワニブックス刊)など多数。ブログ「倉山満の砦」やコンテンツ配信サービス「倉山塾」や「チャンネルくらら」などで積極的に言論活動を行っている。

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