「すきやばし次郎」の創業者で100歳のすし職人・小野二郎さん、これまでの軌跡やすしへのこだわり、すしを取り巻く環境の変化について語る
東京・銀座の名店「すきやばし次郎」の創業者で、75年にわたり、すしを握り続けてきた希代のすし職人・小野二郎さんが10月27日に100歳を迎えた。これまでの軌跡やすしへのこだわり、すしを取り巻く環境の変化について聞いた。
1925年10月、静岡県に生まれ、二俣町(現・浜松市)で育った。小学生になったのは昭和恐慌の頃で、7歳で
調理場の仕事も少しずつ任されるようになったが、戦況が悪化する中、16歳の時に横浜の軍需工場へ徴用された。この頃には日本料理の技術が身についていた。19歳で赤紙が届き、徴兵されたが、間もなく終戦を迎え、実家に戻った。奉公先は戦後の混乱期でまともに営業できなかったため、浜松の料理店で働き始めた。
そこで仕事をしながら、「いずれ店を持ちたい」「扱うのは魚だけで、道具などもそんなに必要ないすし店なら」と考えるようになった。別の料理店に移った時、東京のすし店と面識がある常連客がいて、紹介してくれることになった。そのすし店が当時、江戸前ずしの御三家の一つといわれた「与志乃」だった。上京して、すしの道に進むことになる。この時、25歳で、すし職人としては遅いスタートだった。



















