「地頭のいい人」ばかりを集めても成果は出ない…IQでは測れない"本当に重要な知性"
イーロン・マスクのプロジェクトの実現可能性はともかく、これからは一人の人の認知的知性(IQや問題解決能力)だけを重要視するのではなく、一人ひとりが全人格で他者と関わり協力したら、あるいは人間とAIとが互いの長所を活かして協力したら、どんな成果が現れるのかという、「集団的知性(collective intelligence)」を考えることが欠かせないことは確かだろう。そして人間同士の集団的知性の発揮には、感情労働が必要なことがわかってきているのだ。
感情労働の能力が高い人がいるチームは、成果をあげる
私たちは実は、たった一人で能力を発揮しているとは限らない。高校や、大学までは、「偏差値」などが重要視され、個人が発揮するパフォーマンスが競われるが、社会に出ると、大勢のさまざまな役割の人が関わって一緒に、例えば、どんな商品が出せるかと企業と企業で競われることになる。個人の能力ではなく、集団としての能力が大事になってくるのである。
一般的には、集団的知性といえば「3人よれば文殊(もんじゅ)の知恵」「群衆の知恵」というように、正解を知らない人たちが集まって、その人たちの言うことの平均を取ると、専門家の答えと同じになったり、良い解決法が見つかったりする、だとか、多くの人が集まると一人ひとりの足し合わせよりももっと強大な力になる、と言われてきた。ただ大勢集まるという数だけが問題なら、集団的知性に感情はいらないように見える。
集団的知性には個人の知性の足し合わせでは説明できない要因があるということが次のような研究で明らかになってきた。
個人の知性を測るものさしについては、1904年イギリスの心理学者チャールズ・スピアマンが、一つの課題に優れている人は、意外なことに別の課題でも優れており、一見無関係に見える課題の成績が相関する(例えば数学ができる人は国語もできる)ことを発見した。この発見により、どんな課題をやらせても対応できる、どんな能力にも共通な要因、すなわち地頭の良さという意味の「汎用的(はんようてき)知性(general intelligence)」があると考えられ、それが定量化されることになった。IQ(知能指数)である。
実際IQが高い子どもは、その後中学校・高校と学年を上がっていっても、学術面ではある程度の成功をおさめることが多いと示されている。しかし、個人に限った話ではそのようにIQで成功がある程度までは予測できるとして、社会の中で、人と人とが協力して何かを作るという場合、その集団としての成果は何が決定しているのか。このような動機を持って、マサチューセッツ工科大学のトマス・マローンらは、視覚的なパズルを解く、ブレインストーミングをする、道徳的な判断を行う、限られた資源の分配について交渉するなどの多様な課題を用意し、チームごとにやらせて、どんなチームが一番安定して、成績が良くなるかを調べた。



















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