「自分とは何か」「人は死んでも存在するのか」気になるのは今も昔も同じ。悩んだブッダの弟子がブッダから聞いた答えが驚愕だった

✎ 1 ✎ 2
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小
悩む若い女性
シンプルで、ものすごく実用的な答えだった(写真:nonpii/PIXTA)
「自分とは何か」――。昔も今も、多くの人は哲学的で難解な問いのなかで論争することを好み、クヨクヨ悩むことに時間を注ぐ。
約2500年前にも、同じ悩みを抱えていた人がいた。ブッダの弟子の1人だったマールンクヤだ。彼は「確たる“自分”というのは存在するのか、しないのか」気になってブッダに尋ねたのだ。しかし、ブッダはその質問に対して、バッサリとシンプルな答えを出している。
人類が知っておくべき英知をわかりやすくまとめたことで、世界で300万部の大ベストセラーになっている『全人類の教養大全 0』では、ブッダが説いた仏教の本質を解説している。彼が唱えたのは、苦しみにとらわれた人々を救うための「超実践的な教え」だったのだ。

「毒矢のたとえ」に隠されたブッダの実践的な教え

ブッダの教えは『ヴェーダ』の土台の上に生まれたものだ。

138億年を疾走する圧倒的にわかりやすくてドラマチックな 全人類の教養大全0: 「自分と世界」の解像度が上がる偉大な思想編
『138億年を疾走する圧倒的にわかりやすくてドラマチックな 全人類の教養大全0: 「自分と世界」の解像度が上がる偉大な思想編』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします。紙版はこちら、電子版はこちら。楽天サイトの紙版はこちら、電子版はこちら

『ヴェーダ』とは知識、知恵、悟りを意味し、インドに移住してきたアーリア人たちが長いあいだ語り継いできた文書だ。紀元前1500年前後にサンスクリット語で文章化されてきた。

ブッダは『ヴェーダ』の一部を取り入れながらも、批判的な視点を持っていた。業や輪廻、解脱という『ヴェーダ』の基本的な世界観は引き継いだものの、固定で不変の自我――アートマンと呼ばれる意識の主体のようなもの――を認めなかったのだ。ブッダは「無我」を説いた。

「無我説」は、自分のなかに不変の実体があると考える『ヴェーダ』の思想とは区別される、仏教固有の思想だといえるだろう。

けれどよく考えてみると、無我説はある意味で論理的ではないようにも思える。それは仏教が「無我説」を主張する一方で、『ヴェーダ』の「輪廻説」を受け入れているからだ。

次ページ実体がないことで悩むのはムダ!
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事