
誰を助け、誰を犠牲にするのか……これは他人事ではない(写真:yom98/PIXTA)
自分ひとりの命と、たくさんいる他人の命のどちらを優先するか……。生きているかぎり、災害や戦争などの非常時だけでなく、究極の選択を迫られるやっかいな状況は誰にでも起こり得る。
多数を救うために、少数が犠牲になることは倫理的に許されることなのか? この問題は長いあいだ究極の問題として議論されてきたことだ。
韓国のみならず、日本でも新しいタイプの教養書として話題になっている『全人類の教養大全1』の著者であるチェ・ソンホ氏は、究極の選択をする際のヒントを「功利主義」に求める。功利主義とは、個人と社会の利益を倫理の究極の目標とする思想のこと。
そこで議論になるのが、できるだけ多くの人にできるだけ大きな幸福を与えたいときに、少数の人を犠牲にしてもよいか? この議論のカギを見ていこう。
定員オーバーのボートが沈みかけている
大西洋を航海していた巨大な船が沈没した。乗客のうち数十人が脱出して救命ボートに乗り、大海原を漂流した。夜になると月にはかさがかかった。
水は凍るように冷たいし、サメもいるようだ。それでも、命が助かっただけでもありがたい……と思っていたところで問題発生。ボートが少しずつ沈みはじめた。
右往左往しながら原因を探すと、ボートに定員を超える人数が乗っていることが判明した。ボートの定員は10人なのに、いまは11人が乗っている。
僕たちに与えられた選択肢は、論理的に考えて2つしかない。誰かを犠牲にするか、しないか。
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