沈みかけのボートに乗っているあなた。自分が犠牲になって他の乗客を助けなくてはならなくなったらどうする?倫理的ガチ議論の行く末は?

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あなたがもしこの船に乗っているとしたら、どんな選択をするだろうか?

個人の幸福にはグラデーションがある

10人の乗客はいま、うるさいAを海に放り投げようとしている。

そのとき、(たまたま)船に乗っていた功利主義のジョン・スチュアート・ミルが彼らを止めた。そして、「Aを海に投げることが倫理的なのか判断してみよう」と提案した。

功利主義はひとことでいうと、個人と社会の利益を倫理の究極的な目標とする思想だ。この「利益」は、「快楽」や「幸福」といい換えることができる。

功利主義のモットーは「最大多数の最大幸福」だ。とても単純で明快で、現実の複雑な問題も簡単に解決することができる。最大の利益をもたらす方法を選べばいいのだから。

このように単純だった功利主義に磨きをかけた人物が、19世紀のイギリスの経済学者、ジョン・スチュアート・ミルだ。彼は質的功利主義者で、快楽や幸福にも質的なちがいがあると主張した。

人間は、一次的な快楽だけでなく、もっと高い次元の快楽を追求する。だから快楽と幸福は、単純に量だけを見るよりは、質的な側面も考えて測定する必要がある、と言うのだ。

例の10人乗りのボートの話に戻ってみよう。

ミルが持ち込んだ特別な装置を使って、1人ずつ幸福の指数を測定した。
1人目の幸福は+9だった。2人目は+7、良心の呵責を感じていた3人目は+2。こうして全員を評価したあと、これから海に投げられる運命のAも幸福指数を測定すると、なんとマイナス20000だった。

これらを全部足してみると、いくら多数が幸福を感じるとしても、質的な側面を見ると少数の犠牲者が感じる苦痛のほうが大きい。当然、結果は0以下になる。

多数の幸福が上がることであっても、少数の苦痛が大きいなら、その行為は倫理的とは言えない。

だから、少数に犠牲を強いるのは倫理的な行為ではないという結果になるのだ。ミルは快楽と幸福の質的な差異を認めることで、個人の自由・平等といった最小限の権利と価値を守ることができると考えた。

チェ・ソンホ 作家

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ちぇ・そんほ / Chae Sungho

1981年生まれ。作家。成均館大学哲学科卒業。学生時代から文学、哲学、宗教、西洋美術、物理学など多様なジャンルに没頭。「チェ社長」名義で執筆した『全人類の教養大全』シリーズは2014年に刊行されるやいなやトリプルミリオンを達成。2015年には国内著者別売上トップを記録。以来、ベストセラーの座が揺るがない驚異の作品である。自身のポッドキャストは2億ダウンロードをゆうに超え、テレビなどのメディア出演多数。読者に望むことは、社会と人生のしくみを理解し、人とのコミュニケーションをよりよいものにしてもらうこと。

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