かつて"絶滅危惧種"と呼ばれた藤原喜明が明かす…第一次UWFの旗揚げで花開いた【関節技】の原点
そもそもゴッチの教えは関節技だけではない。むしろゴッチの指導の基本は、ウェイト器具を使わない自重中心のトレーニングでいかに身体能力を上げ、コンディションを整えるかというもの。その先のレスリングの1つに関節技があった。
受け継がれる、それぞれの「ゴッチの教え」
フロリダの「ゴッチ道場」で最も長く修行した藤波辰巳(現・辰爾)が、関節技偏重にならず、自重トレーニングで鍛え上げられた肉体とスピードを身につけて、ジュニアヘビー級でドラゴンブームを巻き起こしたことでもそれはわかる。
同じようにゴッチに「マイ・サン(息子)」と呼ばれた木戸修もまた、これまで語られてきたイメージとは違い、寝技のスパーリングに積極的に取り組むタイプではなかったという。
「俺は木戸さんがスパーリングをやっているところは、あまり見たことはない。おそらく木戸さんはゴッチさんから関節技を学んだというより、個人的に仲が良かったんだよ。
木戸さんは日本プロレスの頃から、コーチで来ていたゴッチさんのお世話をしていて、実家に泊めたりしていたことで家族ぐるみの付き合いだったと聞いた。だからゴッチさんが『マイ・サン』と呼んでいたっていうのは、家族同然の付き合いだったからで、弟子というより息子みたいな感じだったんだろうと思う。
だから木戸さんは(第一次)UWFに来た時、『ゴッチさんに誘われたから来ただけだ』と言っていたように、UWFみたいな関節技を主体にした試合をしたかったわけではないんだよ。ゴッチさんとの個人的な関係で来ただけだったからね」
思えば、UWF勢が業務提携という形で新日本マットに戻ってきた際、早々にドロップキックを繰り出すなど、UWFスタイルに最もこだわりを感じさせないのが木戸だった。しかしゴッチの教えを守り、現役引退後もコシティ(ミール)やプッシュアップバーを使ってのトレーニングを欠かさず、グッドコンディションを保ち続けたのもまた木戸だ。
藤原には藤原の、木戸には木戸の"ゴッチの教え"があったのだ。
(取材・文/堀江ガンツ)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら



















無料会員登録はこちら
ログインはこちら