「5部相当」のクラブで悪戦苦闘、それでもサッカー元日本代表・今野泰幸が42歳の今も現役を続ける理由

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「負けているときは出る可能性がないし、勝っているときでも大量にリードしている試合ではチャンスがない。接戦でギリギリ勝っているとき、終盤を守りきるために送り出されるという限定的な役割を託されています。僕も長くサッカー選手をやってきましたけど、サブに回る機会がほとんどなかった。岡田監督(武史=FC今治会長、以下選手名・監督名後ろのカッコ内は現所属チーム・肩書)時代の日本代表でラスト数分に出ることはありましたけど、途中から出る経験が少なくて、本当に難しさを感じています」

南葛SC
南葛SCでは接戦時の守備固め要員としての起用が目立つ(写真:©南葛SC)

24年からチームを率いる風間八宏監督の戦術に適応するのに四苦八苦しているという現実もある。

12~16年に川崎フロンターレを率いた風間監督は、その後の川崎の黄金期の礎を築いた偉大な指導者。ボールを止める・蹴るのベースを徹底させ、中村憲剛(川崎リレーションズ オーガナイザー)や大島僚太(川崎)、谷口彰悟(シントトロイデン)ら日本代表経験者の飛躍を後押しした人物だ。対人守備とボール奪取力で生き抜いてきた今野に対しても、パス出しやボール保持への意識改革を促しており、そのレベルは容赦ないという。

「風間さんのサッカーは“最速最短”で、真ん中にいる相手センターバックから崩していくという考え方。そのためのミスならどんどんしていいんです。僕は今まで極力ミスをしないのがいい選手だと思っていたし、そうなるために少しごまかしてきた部分もあったけど、自分の足りない部分を直視しなければいけなくなりました」

同期は“第2の人生”に、今野はなぜ現役にこだわるのか

今野は「自分からサッカーを取ったら何も残らない」と語っていたこともあった。毎週末の公式戦に向けた緊張感や高揚感は現役選手だからこそ、感じられるもの。「異常なほどのアドレナリンが出るような日々を可能な限り、続けたい」という思いは、なんとなく理解できるところだ。58歳でまだプレーヤーを続けている三浦知良(アトレチコ鈴鹿)も、おそらく同じ気持ちを抱いているのではないか。

とはいえ、キングカズの領域に到達するのは非常に難しい。1996年アトランタオリンピックでサッカー王国・ブラジルを撃破した「マイアミの奇跡」の立役者だった伊東輝悦(清水アンバサダー兼教育事業部コーチ)が50歳になった昨季限りでユニフォームを脱いだように、いつかどこかで自分の身の振り方を考えなければいけないときが来るだろう。

今野と同じ82年生まれ世代を見ると、スペインに移住した大久保嘉人、8月まで札幌で指揮を執っていた岩政大樹、アルビレックス新潟ユースで監督を務めている田中達也、フットゴルフ選手に転身して各地を転戦中の青木剛(鹿島アセンディア)など、セカンドキャリアはさまざまだが、今野は「中途半端な気持ちで指導者になることだけは考えていない」と断言する。

「実は18歳か19歳の頃、先輩に連れていかれて、JFA公認C級指導者ライセンスを取ったんですよ。でも、リフレッシュ研修を受けに行かなくて、剥奪されちゃった(苦笑)。指導者になりたいって確固たる思いを持っていったわけじゃなかったから、それも当然なんです。プレーヤーと指導者は全然違うし、きちんと勉強しないとできるもんじゃない。センスがある人はスッと移行できるかもしれないけど、しっかり学んでやらないと子どもにすら教えられないと僕は考えています」

そういうポリシーを持つ今野は、仮に引退した場合、まず子どもたちを教えている指導現場に行って、教えている人たちからいろんなことを吸収して、楽しいと感じたら、その時点で指導者ライセンスをもう1回取得することを考えている。「“保険”で持っておく」というスタンスはもってのほか。その生真面目さこそが今野らしいところだ。

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