Instagramで「元Jリーガーの自炊記録」と題し、ヘルシーで簡単、彩りのいい料理の作り方を発信している。爽やかな容姿で手際よく家庭料理をつくりながら、ときに独身ひとり暮らしのわびしさを嘆いてみせる。
そのギャップが人気を集め、YouTubeなどもあわせると総フォロワー数が40万人にのぼるインフルエンサーになった。

しかし最初からこの場所に到達できたわけではない。プロサッカー選手として地方で暮らしていたころは、家賃7万円の日の当たらない賃貸に住んでいた。

「現役のときは、住む場所を選ぶ余裕なんてありませんでした。引っ越し先もチームや不動産業者にお任せでしたし……。
日当たりに注文を付けるなんて贅沢な話で。たっぷりと光が差し込んで、部屋の隅々まで明るい空間――、そういう部屋を、ようやく自分で選べるようになったんだなという、感慨があります」
小泉さんは、プロサッカー選手時代に深い挫折を感じていた。とりあえずの住まいと、結果を出せない仕事のあいだで思い悩んでいたのだ。
いくら努力しても、結果を出せなかった日々
小泉さんは小学生で鹿島アントラーズのジュニアチームに入るまでは、周囲と比べても飛び抜けてスポーツ万能だった。しかし全国レベルの逸材たちと切磋琢磨する環境は、想像以上にハードだったそうだ。
「チームメイトがどんどん実力を伸ばしていくなかで、次第に周囲との差を感じるようになりました。それでも負けたくない。小学生の頃から、悔しさや、周りを見返したいといった“負の感情”を燃料に自分を鼓舞してきたんです。
ずっと『下手くそ』だと言われて、なんとか這い上がりたくて……。レギュラーになってプロサッカー選手になれたのも、死ぬ気で努力したからこそだと、その点は誇りを持っています」
鹿島アントラーズのユースには、毎年10人前後という狭き門が設けられており、そのなかでもトップ昇格に至る選手は例年数人にとどまる。そうした難関を乗り越えてきた小泉さんの努力は並々ならぬものだ。
ただ、プロの世界は更に厳しかった。
「僕が公式戦に出場できたのは9年間のうちのたった13試合。いくら練習しても、試合にすら出られない……。現役のときは、ずっと苦しかったですね。
なかでもいちばんつらかったのは、応援してくれる家族やサポーターの期待に応えられなかったことです。自分がフィールドで活躍する姿を見てもらうことでしか恩返しができないという気持ちが、ずっとありましたから」
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